学校へ行けないならサンティアゴ巡礼・カミーノを歩こうよ!

目次・Contents
学校へ行くと頭痛と腰痛が出る
中学生になり、制服に袖を通し期待を胸に学校生活が始まった二番目のお姉ちゃんでした。それが中学2年生になった頃から、徐々に活気が無くなってきました。
クラスの中ので人間関係の歯車が、うまく噛み合わないようでした。
人気アイドルの話がわからない(上のお姉ちゃんの影響もあり、洋楽が好き)
ケータイを持たせていなかったので(高校から持たせる約束でした)女子グループのラインのやりとりが、わからない。
みんな一緒に髪を切るといった、女子グループの提案に乗らなかったり…。
クラスの女子の中では、毎日、誰かターゲットを一人決めて無視する…という遊び?が流行っていました。
中学2年生という時代は『中2病』という名前があるくらい、、無邪気に、また無神経に発した言葉や行動で、傷ついたり傷つけたりの、思春期の難しい年ごろでした。
その波にうまく乗れるか、その時代をどう乗り切るか…、
我が家は3人子どもがいますが、振り返ってみると中学2年生の頃は、誰をとってみても、ハードな時代であったという記憶があります。
痛みが出たら薬を飲む対処療法
夏休みが明けると、同じような状況の友だちが、全く学校へ来なくなりました。この頃からお姉ちゃんは、身体の不調を訴えるようになりました。学校へ行くと頭痛と腰痛がするというのです。しばしば保健室で休むようになりました。
病院でレントゲン、血液検査、CT、心電図の検査を受けたところ起立性調節障害と診断されました。立ち座りの動作で脈拍の調節が適切に働かず、頭痛をはじめとした不快な症状が出てしまうのでした。身体が急激に成長する思春期に多いそうです。
痛み止めを処方され、痛みが出たら服用する対処療法で何とかやり過ごしながら通学をしていました。
通学後は保健室のベッドで横になる、早退、欠席、通院の繰り返しになっていきました。
学校の様子は、担任の先生からも聞いていました。
なんだか、お姉ちゃんの心と身体が悲鳴をあげているようでした。痛み止めの薬を渡すことしか出来ない私も、先行きの見えない不安で、暗い穴に吸い込まれそうでした。 みんなと同じようには出来ないよ…。Chai
お姉ちゃんは、学校へは行くものの、保健室へ行くといった登校は半年を越えました。
学校へ行っても教室に居られず、授業が受けられないのなら、行くのが無駄のように見えましたが、完全に不登校になることへの強い怖れがあったようです。お姉ちゃんは自分で出来ることの精一杯をしていたのでした。
それでも、欠席は徐々に増えていきました。
このままフィードアウトして、学校へ行けなくなったら、更に辛くなってしまうだろうな。自分を責めてしまうだろうな…。
もう十分頑張ったよね。
学校がつらいのなら、無理しないでいいよ。
人生を長い目でみてみよう。
学校に「行けない」じゃなくて「行かない」
家に閉じこもるとなると、学校や友だちの情報が耳に入り、落ち着かなかったり、ゲームやネットの世界にどっぷり浸かるのも心配でした。
どうしたらいい…。?
ここを物理的に離れてみようか。でも私たちに田舎はないし…。
一緒に楽しく乗り切れる方法ってないかな…。
そうだ、旅にでよう!なるべく長い旅。
でも予算はそんなにない…。うーん、でもここは、かき集めてでも何とかしたい。よし、決断しよう! 学校に全く行けなくなる前に、こちらから「行かない」と学校に言おうか…。Kumi3
サンティアゴ巡礼、行くなら今だっ!
ただ、どこかに行くリゾート感覚の旅ではダメだと思いました。
一緒に何かをするような…、チャレンジをするような…そんな旅。
そこで、私はスペインのサンティアゴ巡礼の道に行ってみようと閃きました。
この道はカトリックの巡礼の道です。スペイン巡礼、またはカミーノとも呼ばれています。
以前に本で読みました。(『星の巡礼』パウロ・コリーリョ著『カミーノ』シャーリーマクレーン著 )
およそ800㎞を歩く旅です。いつか60歳になったら行ってみようと考えていました。
そうだ!サンティアゴ巡礼に行くのは、うってつけかもしれない…。Kumi3
はたして、私とお姉ちゃんが本当に行けだろうか…。それを検証してみました。
★この道は本来、カトリックの巡礼路だが、現在はカトリック信者でなくても歩くことができる。(1993年に世界遺産に登録)
★ポピュラーなフランスからの道だと、800㎞を40日弱で歩くことができる。
★宿泊費が一人1000円以下。時々、好きな金額を入れる寄付の宿もある。
★パンとチーズとりんごをかじっていれば、一日の食費は1000円と掛からない。
ヨーロッパに長く滞在すると、大変な金額が掛かりそうなイメージですが、このスペインの巡礼の道は、その点では行きやすいことがわかりました。
しかし、800㎞も歩けるのだろうか。学校も近いため、毎日10分程度しか歩いていないというのに…。
考え出すと、心配ごとは尽きませんでした。
でも、行くなら今だっ!
ちょうど、私も求職中でした。また、タイミングで保険の満期返戻金がありました。
「2か月学校を休んで800km歩く旅に出ようよ!」お姉ちゃんの反応は…?
中3の4月から学校を2か月休んで、スペインの道を歩く旅に出てみない? ええっ?!無理、無理だよ。高校に行けなくなっちゃうよ!!!! じゃあ、担任の先生に相談してみようよ。Kumi3
Chai
Kumi3
「学校を2か月休んで旅に出ます。」担任の先生の反応は…?
お姉ちゃんは、担任の先生をとても信頼していました。
先生は「あなたが今、大変な状況なのは先生は知っているからね。正直に言うと、先生一人の力ではクラスを変えられないのだよ。けれど、勉強だけは裏切らないから。とにかく勉強に打ち込んでいけば、必ず乗り切れる時が来るから。」と言ってくれました。
先生もお姉ちゃんと同じ年頃の娘さんを持っておられるそうです。同じような状況で、学校から泣きながら帰って来たこともあったよ、と話してくれました。
私は「二か月、学校を休んでサンチャゴ巡礼というスペインを歩く旅に出てみようと思うのですが・・・?」と恐るおそる聞いてみました。
すると担任の先生は
「それは素晴らしい経験です。一生でそんな経験をできるチャンスはなかなか無い。
今、行けるなら、尚更いい!ぜひ、行ってらっしゃい。
2か月でも6か月でも。高校受験の当日には居るのでしょう?
問題ないですよ!」と言ってくれたのです。
同年代の娘さんを持っておられる先生の、お姉ちゃんの今の状況をとらえた
人生を大きなスタンスでとらえた最大のエールでした。
肩の荷が降りました…。
担任の先生の言葉が大きく背中を押してくれました。
お姉ちゃんは気を良くして どうせ行くなら2か月じゃなくて、3か月にしてもいいよ…。 あら!(^^)/~~~Chai
Kumi3
表情が明るくなったお姉ちゃんをみて
「じゃ、4月から3か月間、学校を休んで800㎞、リュック背負って歩く旅にでよう。
スペイン・サンティアゴ巡礼の道に行こう~!」
と、にわかに盛り上がったのでした。
「学校を2ヵ月休んで旅に出ます。」校長先生の反応は…?
後日、お姉ちゃんと私と二人
「校長室へ来てください。」と連絡がありました。
直接お話を聞きたいとのことでした。
わ~、来た来た…。Kumi3
校長先生は「この中3の大事な時期に、学校を3か月も休むのですか?
こういうことは 前例にない んですよ。カトリックでもないのに、カトリックの巡礼ですか?
評定ゼロですよ。高校受験を考えているのかね?」
私は「評定ゼロ、承知いたしました。家の方針です。」
「旅行に行くなら今じゃなくてもいいでしょう。お母さんのわがままに、付き合わさるのですな。」
私はひたすら
「家の方針です。」「家の方針です。」「家の方針です。」「家の方針です。」「家の方針です。」「家の方針です。」「家の方針です。」「家の方針です…。」
最後のほうは蚊の鳴くような声で、もう、その場を逃れたい一心でした。
校長先生の言葉の中には、お姉ちゃんが学校へ行けていない状況についてのコメントは、ひと言もありませんでした。
知らないのかな…?
「では、どうぞ、ご自由にしてください!」この一言でとにかく解放されました。
校長室を後にしながら、足取りもヨロヨロとしていました。 マジ、怖かったわ~。Kumi3
それとは対照的にお姉ちゃんは、 きりっとした厳しい表情で ムカつく。帰ったら志望校に受かってやる…。Chai
考えは「お腹の底から笑える生命力のゲット」にシフトする。
でもさ、前例⁈ そんなもの、気にしてどうするのよ~!Kumi3
いま、お姉ちゃんはお腹の底から笑えるような生命力が欲しいのです。
考えは、もっと基本の部分へとシフトしていきました。
だってもう、ここしばらく笑顔を見ていないのだから。 2,3か月歩く旅なら、体力もついて頭痛、腰痛もよくなるんじゃない? うん、そうかもね…。でも、弟はどうするの? あ~!、そうよね、置いていく訳にはいかないわよね~!Kumi3
チャイChai
Kumi3
そうして弟が、旅に連れられて行くことになりました。
へ?何それ?歩く旅?ゲームできるかなぁ??
Den
何にも知らない弟…
こうして、母と中3のお姉ちゃん、小5の弟のカミーノ行きが、形になっていくのでした。