学校へ行けないならサンティアゴ巡礼・カミーノを歩こうよ!


目次・Contents
学校へ行くと頭痛と腰痛が出る
中学生生活が始まった二番目の娘は、新しい制服に袖を通し、ワクワク感でいっぱいでした。
中学一年生の頃は、勉強や部活に元気に取り組んでいました。
それが、中学2年生になった頃から、徐々に雲行きがあやしくなってきました。
どうも、クラスの中での人間関係が、うまくいっていないようでした。
多分娘は…
人気アイドルの話がわからない。
(4歳上の上のお姉ちゃんの影響があり、洋楽が好きでした。)
ケータイを持たせていませんでした。
(高校から持たせる約束でした。)
そのため、クラスの女子グループのラインのやりとりがわからないのでした。
そういった背景があるので、
「クラスメートと話が合わないかしら…。」
と母なりに、気には掛けていました。
ある時、娘は
「クラスの女子のあいだで、誰かターゲットを一人決めて無視をする…という遊び?が流行っているの。こわい…。」と言いました。
ターゲットにされた子が泣き出すと
「無視するっていうドッキリをしていたんだよ~!」
とクラスのボス的存在の女子が、種明かしをするというのでした。
また別の時、娘が朝、学校のクラスに入ってみると、ビックリしました。
クラスの女子全員の髪型がショートカットになっていました。
見ると、娘ともう一人の女子だけ、髪を切らずロングヘアのままでした。
それは前日、クラスのボス的女子が提案したことでした。
「明日、みんなショートカットにして来てね!」
それをするかしないかは、それぞれ個人の自由ですが、
何かそのボス女子は、特別な権力?というか、ヒトを引き付ける力があるというか、みんな言う事を聞いてしまうというのでした。
娘ともう一人の女子は、髪を短く切ってくること!というボス女子の提案は、聞いて知っていたのですが
「髪型を人に指図されるのは変!」
と、そんな言葉をまったく気にも留めず、いつも通りに学校へ行ったのでした。
それは後から思えば、ボス女子に対する『踏み絵のような出来事』だったのでした。
そのあたりから、クラスのボス女子とそのグループから空気のような存在として扱われるようになったのでした。
中学2年生、14歳という時代は『中2病』という名前があるくらい・・・。
無邪気に発した言葉や行動で、傷ついたり傷つけたりする難しい年ごろでした。
痛みが出たら薬を飲む・対処療法
中二の夏休みが明けると、同じような状況だったもう一人の女子が、全く学校へ来なくなりました。
この頃から娘は、身体の不調を訴えるようになりました。
学校へ行くと頭痛と腰痛がするというのです。登校したとしても、教室で座っていられず、保健室で休むようになりました。
病院でレントゲン、血液検査、CT、心電図の検査を受けたところ起立性調節障害と診断されました。立ち座りの動作で脈拍の調節が適切に働かず、不快な症状が出てしまうということでした。
その原因として挙げられるのが、強い心理的ストレスでした。そのために自律神経のつかさどる血圧や脈拍、血液循環の調節機構がうまく働かず、立ちくらみなどの症状が出るということでした。
病院から、頭痛と腰痛のための痛み止めの薬を処方され、痛みが出たら薬を飲むという対処療法で、何とかやり過ごすことにしました。
娘の状況は、朝は起きられず遅刻で登校…。
通学したのち、保健室のベッドで横になる、または早退…。
頭痛と腰痛が辛い日は、欠席…。
そういったことの繰り返しになっていきました。
眉間にしわを寄せ、頭が痛いと言いながらも、とにかくとぼとぼと歩き学校へ行く娘の姿は、不安に満ちていました。心と身体が悲鳴をあげているようでした。
痛み止めの薬を渡すことしか出来ない私も、先行きの見えない不安で、暗い穴に吸い込まれそうでした。
あんなこと変だよ…。
学校へ行っても教室に居られず、授業が受けられないのなら、行くのが無駄のように見えましたが、完全に不登校になることへの強い怖れがあったようです。娘は、自分で出来ることの精一杯をしていたのでした。
それでも半年後には、欠席が増えていき、登校するのが難しくなりました。
このままフィードアウトして、学校へ行けなくなったら、更に辛くなってしまうだろうな。自分を責めてしまうだろうな…。
もう十分頑張ったよね。
無理しないでいいよ。
青白い顔で、笑顔が無くなってしまった娘を見て思いました。
食事を美味しく食べて、よく寝て、笑って過ごしてくれるだけでいいのよ。学校だけが全てじゃないのだから。
学校に「行けない」じゃなくて「行かない」
この先、家に閉じこもるような生活になると
学校の情報が耳に入るにつれ、焦ったり落ち着かなかったり、
学校に行けない自分を責めてみたり
また、SNSの世界にどんどん浸っていくのも心配でした。
どうしたらいいのだろう…?
ここを物理的に離れてみようか。
けれど、私たちに田舎はないし…。
娘だけでなく、私も手助けして一緒に乗り切れる方法は、ないだろうか…。
そうだ…、
旅に出てみようかな…。
でも予算は、そんなにないナ…。
う~ん、でもここは、かき集めてでも何とかしたい。
学校が気にならなくなるような事をしてみたい。
そして...
学校に全く行けなくなる前に、こちらから「行かない」と学校に言ってみようか…。
サンティアゴ巡礼、行くなら今だっ!
旅に出るとしても、ただどこかに行き、
楽しく過ごすリゾート感覚の旅ではダメだと思いました。
ちょっと不便な旅…。
なるべく長い旅…。
何か一緒にするような…。
何かチャレンジをするような…。
その時、私は
スペインのサンティアゴ巡礼
が心に浮かんだのでした。
この道は、以前に体調を崩して入院した時、
以下の本で読み、知った旅でした。
『星の巡礼』パウロ・コリーリョ著
『カミーノ』シャーリーマクレーン著
およそ800㎞を歩く旅です。世界中からバックパックを背負い、歩きに来る人々が沢山いるのでした。私もいつか、60歳になったら行ってみようと考えていました。
そうだ!今こそサンティアゴ巡礼に行くのがいいかもしれない…。
しかし、はたして、私と娘が本当に行けるのだろうか…。
それを私なりに検証してみました。
★この道は本来、カトリックの巡礼路だが、現在はカトリック信者でなくても歩くことが出来る。(1993年に世界遺産に登録)
★ポピュラーなフランスからの道だと、800㎞を40日弱で歩くことが出来る。
★宿泊費が一人1000円以下。時々、宿泊費が寄付のところもある。
★パンとチーズとりんごをかじっていれば、一日の食費は1000円と掛からない。
ヨーロッパに長く滞在すると、大変な金額が掛かりそうなイメージですが、このスペインの巡礼の道は、その点では贅沢をしなければ、一日2,000円で暮らせそうでした。
予算の面では、案外と行きやすいことが分かりました。
しかし…。
800㎞も長い距離を歩けるのだろうか。
私はスペイン語は出来ないし、英語も中学生程度の実力でした。
そんな状態で、子どもを連れて行けるのだろうか…。
旅先で全財産を盗られたらどうしよう…。
考え出すと、心配ごとは尽きませんでした。
でも…、行くなら今だっ!
今ならちょうど、私も求職中でした。
またタイミングよく、保険の満期返戻金がありました。
「学校を休んで800km歩く旅に出ようよ!」娘の反応は…?
中3の4月から学校を2カ月休んで、スペインの道を歩く旅に出てみない? ええっ?!無理、無理だよ。高校に行けなくなっちゃうよ!!!! じゃあ、担任の先生に相談してみようよ。
「学校を休んで旅に出ます。」担任の先生の反応は…?
娘は、担任の先生をとても信頼していました。
先生は
「あなたが今、大変な状況なのは先生は知っているからね。
正直に言うと、先生一人の力ではクラスを変えられないのだよ。
けれど、
勉強だけは裏切らないから!
とにかく勉強に打ち込んでいけば、必ず乗り切れる時が来るから。」
と折に触れ、言ってくれました。
先生も、娘と同じ年頃のお子さんがおられるそうです。同じような状況で、学校から泣きながら帰って来たこともあったよ、と話してくれました。
それで、、二か月、学校を休んで、サンティアゴ巡礼というスペインを歩く旅に出てみようと思うのですが・・・?
すると、担任の先生は
「それは素晴らしい!
一生で、そんな経験をできるチャンスは、なかなか無い。
今、行けるなら
あなたにとって、尚更いい!
ぜひ、行ってらっしゃい。
2か月でも6か月でも。
高校受験の当日には、日本に居るのでしょう?
問題ないですよ!」
と言ってくれたのでした。
同年代の娘さんを持っておられる先生の、お姉ちゃんの今の状況をとらえた
人生を広く見据えた最大のエールでした。
肩の荷が降りました…。
担任の先生の言葉が、大きく背中を押してくれました。
お姉ちゃんは どうせ行くなら2ヵ月じゃなくて、3ヵ月にしてもいいよ…。 あら!なんだか前向きな発言ね~!
表情が少し明るくなったお姉ちゃんをみて、やってみる価値があるかもしれない、と思い決心しました。
「では、中学三年生の4月から3か月間、学校を休んで800㎞、バックパックを背負って歩く旅にでよう。
スペインのサンティアゴ巡礼へ行ってみよう!」
「学校を休んで旅に出ます。」校長先生の反応は…?
後日、娘と私と二人
「校長室へ来てください。」と連絡がありました。
直接お話をお聞きしたいとのことでした。
わ~、やはり来た…。
校長先生は
「この中3の大事な時期に、学校を3か月も休むのですか?
こういうことは 前例にない のですよ。
増してや、カトリックでもないというのに、カトリックの巡礼に行くのですか?
評定ゼロですよ。高校受験を考えているのかね?」
私は 評定ゼロ、承知いたしました。家の方針です。
校長先生は
「旅行に行くなら、今じゃなくてもいいでしょう。」
私はひたすら
家の方針です。家の方針です。家の方針です。家の方針です…。
最後のほうは蚊の鳴くような声で
「家の方針です。」
もう、その場を逃れたい一心になっていました。
「お母さんのわがままに、子どもが付き合わされるのですな。」
校長先生も、変わり者のお母さんと思ったことでしょう。
ただ、気になったのは、
校長先生の言葉の中には、お姉ちゃんが学校へ登校出来ていない状況についてのコメントは、ひと言もありませんでした。
知らないのかな…?
前例が大事なのかな…?
最後は、校長先生の
「では、どうぞ、ご自由にしてください!」
の一言で、その場が終わりました。
私は校長室を後にしながら、足取りもヨロヨロとしていました。 うわあ、怖かった~。
それとは対照的に娘は 帰ったら志望校に、ぜったい受かってやる…。
考えは「お腹の底から笑える生命力のゲット」にシフトする。
後から校長室のやり取りを冷静に考えてみました。
前例⁈ そんなもの、気にしてどうするのよ~!
いま、娘はお腹の底から笑える生命力が欲しいのでした。
親としての考えは
学校や受験といったことよりも、
もっと生きていく基本の部分へと、シフトしていきました。
だってもう、ここしばらく娘の笑顔を見ていないのだから。 2,3か月歩く旅なら、体力もついて頭痛、腰痛もよくなるんじゃない? うん、そうかもね…。でも、弟はどうするの? あ~!、そうよね、置いていく訳にはいかないわよね…。
お姉ちゃんと弟、4歳違いで生活や遊びで接点が少ないし、きっと、このチャレンジは、二人にとっても貴重な経験になるわ!サンティアゴ巡礼にお姉ちゃんと一緒に連れて行くわ!
へ?何それ?歩く旅?ゲームできるかなぁ??
何にも知らない弟…。
小学5年生で10歳の弟は、小学校の先生に
「スペインのサンティアゴ巡礼に行くので3ヵ月学校をお休みします。」
というお話をすると
「帰ってきたら写真を見せてくださいね。頑張って歩いて来てね!」
と先生からの声掛けがあり、それでOKでした。
こうして、母と中3の娘、小5の弟のカミーノ行きが、形になっていくのでした。