サンティアゴ巡礼後、メノルカ、モロッコ、リヨン、他
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「中学校に行けないなら、スペインをひたすら歩く旅に出てみない?」と体調を崩し学校へ行けなくなった中3次女と訳も分からず一緒に行くこととなった10歳男子、母の三人は、サンティアゴ巡礼(カミーノ)へ行くことにしました。ところが、トラブル続出!初日にガイドブックを失くし、スマートフォンも使えなくなるという事態に陥り、私たちはまるで中世の巡礼者のように道の黄色い矢印だけを頼りに歩きました。かかった日数は60日、歩いた距離は930kmでした。その後、長女と夫もそれぞれにカミーノを歩き私もまた2回ほどカミーノの一部を歩きました。
子連れサンティアゴ巡礼・カミーノ後の旅・番外編
飛行機のチケットはパリ往復3か月でした。
ところが、私たち3人は、カミーノを2か月で終えてしまいました。カミーノの道を出てしまうと、アルベルゲのようにはいきません。宿泊費が、日本とほぼ同じになってしまいました。そこで、巡礼仲間、ホセの住むメノルカ島へ行きました。
その後「せっかくだからモロッコも行ったらいい!」 と勧められ、サハラ砂漠まで足をのばしました。
最後の一週間はフランスに戻り、巡礼仲間アラン先生の庭先でキャンプ、パリ
探索をして、この3か月のカミーノツアーは終わりました。
詳細はカミーノ記事のあとに載せていく予定ですが、簡単な写真とコメント
だけ載せておきます。
カミーノ後、その① メノルカ島(スペイン地中海)
スペインの地中海、小さな島。素朴なメノルカ島。
海がきれい!
白い街がありました。
この日はお祭り。
群衆の中を馬が額に鏡を付けて走り回ります。鏡に自分の顔が映ったらその年は幸福になるというので、みんな危険を覚悟で、馬の前に躍り出ます。
そして、街にたくさんのヘーゼルナッツの袋が…。
節分どころの騒ぎではありません。拾ってはなげ拾っては投げ、大人も子どもも雪合戦状態。
メノルカ島の教会。
カミーノ後、その② モロッコ
せっかくだから、アフリカ大陸に突入!ということで、メノルカ島から、いったんバルセロナに戻り、モロッコへ飛行機で飛びました。
青い街へ行ってみたかったのですが、モロッコで出会った日本人に、サハラ砂漠にぜひ行くといい、と勧められました。
着いたのは、カサブランカの町でした。ムスリムの礼拝所が点在していました。。
建物がヨーロッパの今までと全く異なります。
土を固めた建物。
モロッコのマラケシュの宿の屋上から。
モロッコのトイレはこんな感じ。
マラケシュのバザール。
ナツメやら、あれこれ、ドライフルーツ屋さん。
サボテンの実が売っていました。
こんなの。
切ってみると本当にフルーツ。キウイの酸味が薄い、食べやすい。種も食べれました。
これは、カサブランカ宿近くの食堂。60円ぐらいの庶民食。
これも同様。タジン定食。100円ぐらいの定食。
ところが、たまたまタクシーに乗ったところ『友達のレストラン』というところで降ろされ、運転手が「安くするから食っていけ!」 と、、、どんどん料理がでてきました。
Kumi3
さんざん断ったのですが、食べるまで運転手は帰らせてくれません。もう、ここは食べるしかない!!
わあ、まだまだ、料理が出てきたよ。
いいね、もう、こうなったら楽しもう。めっちゃ食べてね!
Kumi3
Chai
Den
Kumi3
お勘定は、日本円で2000円でした。いつもの定食3人分のおよそ10倍 でした…。
そのあとも、観光ラクダ園へ。かわいい子なんだけど…。
それから、意を決してサハラ砂漠ツアーに参加することに。
砂漠のラクダは、ハードボイルドな顔してるよ!
そして、サハラ砂漠のパオを目指して。ラクダで行くのでした。
カミーノ後、その③ フランス
モロッコから、飛行機でフランスへ戻りました。
リヨンの山景色。
巡礼仲間、アラン先生の庭でキャンプをさせてもらいました。
湖でピクニック。
フランスの田舎の風景。
リヨンの教会。
パリに戻り、セーヌ川沿いに歩きました。これは、火事になる前のノートルダム寺院。
こんな風にカミーノ、番外編の旅を終え、無事パリから日本へと帰ったのでした。