モロッコ子連れ旅 / サソリ刺され事件・サハラ砂漠ラクダツアー


サハラ砂漠出発前の不安
あ~ん、砂漠ツアーのミニバスは本当に来るかしら…。
朝の6時半、私たちはホステルの前で待っていました。
思えば昨日….。
マラケシュのジャマエルフナ広場の近くの旅行会社で、サハラ砂漠・ラクダトレッキングツアーを申し込みました。その時、ツアー代金を950dhから850dhに値切り、気を良くした私は、3人分全額を支払ってきました。
その後、ジャマエルフナ広場のバザールへと足早に向かい、ヘビ使いやヘナタトゥー屋に寄り、たくさんの屋台をのぞきながら、エキサイティングし、クタクタになってホステルへと戻ったのでした。
ふと思い起こせば、旅行会社に代金を支払った時、その手続きはあまりに簡単でした。
私たち3人の名前を書き、ホステルの名前を言っただけでした。
チケットや領収書も発行されませんでした。
受付のお兄さんは、お金を受け取ると
「オッケー、では明日の朝 6:45 に迎えに行くよ!じゃあね、バイバイ~!」
それだけでした。
後から考えると、支払いを半分だけにして迎えに来たら残りの半分を支払うとか、何か用心をしておくべきでした。
何しろ昨日は、朝からタクシーのおやじにラクダパークや高級レストランに連れていかれ、思わぬ散財をしていたのでした。何をどこまで信用できるのやら….。
あ、来たよっ~!
なんと、6:45 ピッタリ!
ミニバスは現れました。
私の、不安でささくれていた心は
疑ったりしてごめんなさ~い!時間厳守で、好感度バツグン!
ひとまず、安心することが出来ました。
私たちはミニバスに乗り込み、座席に落ち着きました。
ところがまた、心中を乱される出来事が起きました。
ねえママ、あの人たち、いまツアー代金を払ってるよ。それが 550dh だって!
見ると、それは確かに、一人 550dh(¥4,950) でした。
私たちは、850dh(¥7,650)支払ったというのに….。
ムッキー‼定価どうなってるの??私、値切り方が甘かったんだわ!!
私たちは、このモロッコで
お人よしで世間知らずのジャパニーズ!
でした。
これからは、カモから鷹になるぐらい、もう少ししたたかにいかないとダメね‼
ミニバンは2台に分かれ、総勢 20人のツアー参加者でした。
西洋人がほとんどでしたが、もう一台のミニバスに、東洋人の女性が一人、乗っているのが見えました。
モロッコミニバス車窓の旅
ミニバスは、出発しました。
マラケシュの街を通り抜けました。
わりと早く、建物が無くなっていきました。
サボテンが、あちらこちらに生えていました。
途中、見晴らしのいい場所に停まり休憩タイムを取りました。
見渡せば、ダイナミックな峡谷が連なっていました。
道は、結構な曲がりくねりがありました。
Denは、すっかり車に酔ってしまいました。
化石売りおじさん
乾いた台地のようなハゲ山を、いくつも通り過ぎました。
近付いていくと、麓に小さな集落が見えてきました。
ね~、いつ着くの~?
今日は一日中、車で移動だってよ。
ランチタイムに、カフェレストランへ案内されました。
私たちは、ボラれた金額を考えると、節約気分になっていました。モロッコDh(ディルハム)の所持金を減らしたくないのでした。コーラだけをたのみ、持ってきたパンとオレンジで、昼食を済ますことにしました。
まわりを歩いてみました。
鮮やかな色の布を売るお店や、屋台がいくつか見えました。
布を広げ、クリスタルや化石を売っているおじさんがいました。
私たちが通ると、おじさんはすごい勢いで声を上げました。
「サンヨーチュ!サンヨーチュ!」
アラビア語?、何言ってるのか分からないよ!
アンモナイトの化石があるのね。それと…、これ何?カブトガニかしら?
さんようちゅ…?、あっ、三葉虫って言ってるんだよ!
アハハッ、アハハハハ~!
私はお腹の皮がよじれるほど笑ってしまいました。
「三葉虫」なんて言葉を聞くのも何十年ぶりでした。またその物珍しい言葉をサハラ砂漠の田舎の果てで、モロッコ人のおじさんの口から聞くことが、あまりに意外過ぎて、ツボにハマってしまったのでした。
推測すると、どうも以前に来た日本人のお客さんが、おじさんに化石の名前を教えたようでした。
それでおじさんは、日本人ぽい人を見ると、ビジネスチャンス到来!とばかりに
「さんよーちゅ!」を連呼をするのでした。
あんまり大笑いして悪いので、小さめのクリスタルを一つ買いました。
さすがに三葉虫の化石は重いし、飾るにしてもパッとしないので、やめておきました….。
ヘナの値段の謎
枯れた土地に、緑と建物が寄り集まっているのが見えて来ました。
それらの建物は、木や柱は使われておらず、日干し煉瓦だけで出来ていました。
トイレ休憩の度に、身体を伸ばしました。
今度は、川が流れる大きな街に入りました。
ミニバスは、ドライブインらしきところに入りました。
雑貨屋さんがありました。昨日のジャマエルフナ広場でやってもらったヘナタトゥーの粉が、箱に入って売っていました。
(昨日やってもらったヘナタトゥー。2週間で消える。)
それは、たばこ2箱を合わせたぐらいの大きさでした。値段が付いていないので、お店のおじさんに聞くと
「一箱、100dh(900円)だよ。」と言いました。
これは、ツアー代金の時のように、きっと…、
かなり割り増し価格になっているに違いない!と思い、丁々発止の値段交渉の末、3箱買うことにして、一箱 60dh(540円)まで、値下げしてもらいました。
やった~!いい買い物になった~‼
おじさんも苦笑いで(いや嬉しそうな顔かも…)
「仕方ないなぁ~。あんたには負けたよ!」と
一緒に写真を撮りました。
さらにミニバスは、モロッコ奥地へと走りました。
ダイナミックな岩山が見えて来ました。
少しづつ、緑豊かな景色になって来ました。
岩山の下にホテルがありました。今日はここに泊まるということでした。
ホテルの周りを歩くと、雑貨屋さんがありました。
そこにも全く同じ箱のヘナタトゥーの粉が、売っていました。その店は、品物の全てに値札が貼ってありました。
ママ、これ見ちゃダメッ!
あっ!ひと箱10dhって書いてあるじゃないっ‼
さっきの値段交渉で勝ち誇った気分が粉々に砕け散ったのでした。
もともと一箱10dh(90円)のものを100dhといわれ、それを60dhに値切ってウハウハしていた私でした。しかも、値切るために3箱も買って180dh(1620円)も支払っていたのでした。
んが~、悔しいっ!この店で買ったら面倒な値段交渉も無しで、あの店で払った金額で18箱も買えたんだわ‼
モロッコのホテル
ミニバスのドライブは、トータル11時間走り続けました。
やっと今日のホテルに着きました。
エントランスのタイル使いがモロッコ調~。
ホテルの裏には、川が流れていました。
車に酔ったDenは、しばらく外を眺めていました。
夕食は20時からでした。
長いテーブルをツアーのみんなで囲みました。
まずは、チキンスープ。
ナスとズッキーニのクスクス。
そして、スイカでした。(フォークの立て方がダイナミック!)
部屋は室内にシャワーがあり、お湯が潤沢に出ました。シャワーを浴びて、手洗いで洗濯をして、部屋の窓際に干しました。
やった~!嬉しいな!
寝る前に、ホテルの屋上に出てみました。
わあ~、星がいっぱい!
もう一台のミニバスに乗っていた、東洋人のおねえさんも来ていました。
こんばんわ!
「こんばんわ!星がきれいですね‼」
彼女はSaki、花に興味があり、モロッコやヨーロッパを何カ月も旅をしていました。
Sakiは、ひとりで自由に旅してるんだって!かっこいいね!
ねえねえ、Saki~!
ホテルの部屋に戻り、しっかりと睡眠をとりました。
朝、6時半に起きました。
朝食は、パンケーキとジャム、オレンジジュースと紅茶、コーヒーでした。
朝に温かいお茶が飲めるって、嬉しいよね!
モロッコ絨毯の展示販売
サハラ砂漠ツアー2日目もドライブでした。
川沿いのホテルを後にしました。
私たちが乗ったミニバスは、昨日と同様に乾いた大地を走り続けました。
少しづつ建物が増えてきました。
ミニバスは停まり、ドライバーが言いました。
「少し散策するよ~。」と私たちを引率して歩き出しました。
すぐに田舎の風景になりました。白いサギたちが、たむろしていました。
私たちは、ドライバーの後を一列に続きました。
わあ、重い荷物を人力で運んでる~!
お疲れ様~。
きっと、何百年も変わらない風景だね~。
働き者のロバ君。後ろの女性の民族衣装も気になりました。そして、女の人ばかり働いているのも気になりました。
途中、ドライバーが草を編んでバッタを作って見せてくれました。
しばらく行くと畑はなくなり、土造りの建物群の中へと入っていきました。
モスクが見えて来ました。
日干し煉瓦の街並みを、少しづつ登りながら歩いて行きました。
トンネルを抜けていきます。
この奥に見えるドアに、全員が案内されました。
中に入り、薄暗い廊下を抜けました。
ほどなく、パッと明るくなりました。
わあ、部屋じゅう絨毯だ~!
全て、手染め、手織りの絨毯でした。
羊の毛から紡いで、機織り機械にかけるまでの工程を説明してくれました。
羊毛を、大きな櫛ですき取る体験をさせてくれました。
絨毯の鮮やかな色の原料は、全て自然の植物由来のものでした。サボテン、ヘナ、アルファルファ、インディゴを使っているということでした。
絨毯小屋のおじさんから、みんなに甘いミントティーが配られました。
おいしい~!
そして…、ここからが長いのでした。
絨毯小屋のおじさんは
「これは、私の妻が3か月かけて織ったじゅうたんです。」
へええ~!
「これは、わたしのお母さんが5ヵ月かけて織りました!」
ほおお~!
「これは、私の姉が織った絨毯です。」
「これは私の妹が、、、。」
「これは、私のおばが、、、。」
「これは、私の姪が、、、。」
いったい何人の親戚がいるのかしら?
いつまで続くのかな~。はやく砂漠に行きたいよ~。
誰かが買うまで、この小屋から出してもらえないのかも….。
オーストラリアから来た新婚旅行カップルの女性が、買おうかどうか悩んでいる様子が見えました。
(おお、いいぞ!)みんな内心で思いました。
そして遂に!
「私、それ買うわ!」
おじさんの妻が織ったとかいう絨毯を買ってくれました。2ℓのペットボトルぐらいの大きさにクルクルと畳まれました。そのお姉さんが、代金(1万5千円ぐらい)を支払っている姿を見て、おおかたの人が、フ~ッ!と安堵の息を吐きました。
ここを出られる~!
早く砂漠へ行きた~い!
絨毯小屋を出る前にサボテン小屋のお兄さんと記念写真!
再びミニバスに乗り込み、サハラ砂漠を目指し走り出しました。
サハラ砂漠手前のガタガタ道
二日目のドライブも、絨毯小屋に寄ったとはいえ、朝8時から夕方6時まで続きました。
ミニバスの中で長時間過ごすのは、お尻が痛くて窮屈でした。
乾いた土地が広がってきました。
おお!砂漠が近い近い!
ミニバスは、一本道をラストスパートのように走り抜けました。それはサハラ砂漠手前の最後の難所という感じでした。
石がゴロゴロと転がっているガタガタ道で、どこかに掴まって口を閉じていないと
ワワッ、アオッ、オホ、オオッ!と思わず声が出てしまうほどでした。さらに窓からは砂ぼこりが飛び込んできました。その道は40分ほど続きました。
そうしてやっと、このツアーの最大のクライマックス、ラクダに乗って砂漠をトレッキング~!のスタート地点まで来ました。
夕方の7時でした。太陽が傾いているとはいえ、まだかなり暑いのでした。砂漠は朝晩が冷えるというので、長そで、長ズボンで来た人々も、モロッコの日中の暑さに耐えきれず、途中からタンクトップや Tシャツ、半ズボンになっていました。(けれど、どんなに暑くても長ズボンが良かったのです…。)
ラクダトレッキング準備
大きな建物が見えて来ました。元ホテルだったようです。その横にミニバスは停車しました。
元ホテルの中でカードを渡され、名前や住所、パスポートナンバーなどを記入しました。
外に出て周囲を眺めてみると
わあ、ラクダが見えた~!
そしてここからは、アブドラおじさんが私たちを案内してくれることになりました。
おとといの散財させられたタクシーのおじさんも、アブドラという名前でした。
ちょっと、アブドラと聞くとギョッ!としちゃうわ~。
「やあ、どこから来たんだい?」と砂漠のアブドラおじさん。
ジャパン!
あら、こちらのアブドラおじさんは親切そう!
また、
他のおじさんたちも、面倒見が良いのでした。
「あれ、お母さん、帽子ないのかい?」
ちょっとコワモテおじさんが、ストールを私の頭に巻いてくれました。
「砂漠の民のやり方をしてあげよう!」
うひゃひゃ、ちょっとキツイわ~!
お母さん、いい感じ~!
やっとラクダにたどり着いた~!人数分が用意してあるね。
毛布を渡されました。それは、お尻に敷くためのものでした。
一人ひとり、ラクダに案内されました。
サハラ砂漠ラクダトレッキング
「みなさ~ん、行きますよ~!」
とアブドラおじさん。
オッケー!
元ホテルの建物をあとにしました。
案内役のおじさんが、ラクダの隊列の先頭を歩きました。
わあ~!ここはアフリカ大陸!モロッコ!サハラ砂漠なんだ!!
太陽ピッカ~ン‼
砂煙にタッチ!
二つの隊列の一方に、ChaiとSakiがいました。
砂山のアップダウンもひんぱんにありました。
見渡す限り、砂、砂、砂の海~。
ラクダは、ぽっこりぽっくらと大きく揺れました。
日が落ちて来て、影が切り絵のように映りました。
地球も惑星なんだ!って感じるね‼
太陽が沈むと、いっきに暗くなって来ました。
1時間半のラクダトレッキングが、終わろうとしていました。
地球に太陽が沈む
アブドラおじさんが
「着いたよ~!」
ラクダは、静かに足を下り曲げて地べたに座りました。
プハ!このぐらい、おちゃのこさいさい~!
余裕のラクダ君でした。
ラクダから降りてすぐに、私たちが泊まるテントが見えました。
トイレやキッチンの設備も付いていました。テントに荷物を置きました。
案外、過ごしやすそうね!
宿泊テントは、大きな砂山のふもとにありました。砂山を見上げると、その稜線に今にも太陽が沈みかかっているのが見えました。
日が沈む前に、絶対に砂山のてっぺんまで登るんだ!
わっせ、わっせ!
よいしょっ、よいしょっ!
四つん這いになって、懸命に手足を動かしているのですが、手を付いたそばからずり落ちてしまい、思ったように進めないのでした。すぐ上に見える砂山のてっぺんが、なんとも遠いのでした。
ハアハア..なかなか頂上にたどり着けない!もう、上を見ないわ。ひたすら手足を動かしていけば、いつかたどり付く!
うひゃあ、疲れた~!
よいしょ、よいしょ!
うわっ!てっぺん着いた!
およそ、15分ぐらい、バタ足クロールで砂山を登り切りました。
振り返ると、遥か下にテントの群れが見えました。
サハラ砂漠の砂山のてっぺん!
砂漠の山の稜線に立つと、爽やかな風が吹いていました。バランスを崩すと転げ落ちそうでした。
私たちを追うように、DenとSakiがてっぺんにたどり着きました。
なんとか、夕焼けに間に合いました!
地球という惑星に太陽が沈むんだ‼
うわああぁ~!!
Chaiも同じように声を上げていました。
砂漠で何かが刺した!
砂山の下りは、滑り台を滑るようにスムーズでした。それは登りの苦労をあざ笑うかのようでした。
ズザザザーッ、速い速い!
その滑り感が面白くて、Denは板を見つけ、砂ボードサーフィンに興じていました。
キッチンテントのほうへ行ってみました。砂の上にイスとテーブルがあり、布の屋根が付いているオープンスペースなカフェでした。
アブドラおじさんが、ミントティーを淹れてくれました。
ひと息つくと、私は砂の斜面にもどり、一人でゴロンと横になりました。
少しづつ、星が現れて来ました。
暑くもなく寒くもなく、砂山登りで疲れた体に心地よい風が、オデコの前髪を吹くようでした。
目を1分ぐらい閉じてパッと開くと、星の数が増えていました。
また目を閉じる…、目を開ける。
星が増える….。
それがとても素敵で面白くて、しばらく寝っ転がったまま、サハラ砂漠の空気を身体全体で感じていました。
気が付くと、10分ぐらいの間、ウトウトしていました。
ハッと気付くと、9時過ぎになっていました。
キッチンテントのほうで、カチャカチャと夕飯支度の音がしていました。
行ってみると、ChaiとDenが、Sakiたちと一緒に食器を運ぶ手伝いをしていました。
あ、ママ!寝てたでしょ。疲れたのね。
ね~!手伝うわ。
その時…、
痛いっ!
痛いっ、痛い痛いっ‼
ううっ!左のひざ下がチクッとしたあと、痛みが太ももまで来たっ!
ええっ⁉足がつったとか?虫??
おじさんは、様子を見に来ました。
ううう、チクッと何かに刺されたみたいです。すごく痛い。痛いのが太ももまで広がってきた….。
おじさん!、虫ですか?ハチとかアブとか?トカゲ?ヘビ?いったい何ですか?
おじさんは、いったんテントのほうへ戻り、何かを持ってきました。
それは、電気コードとキャンプ用コンロのガスでした。
おじさんは、電気コードをヒモ代わりにして、Chaiの痛む部位の上をきつく縛りました。
それから、コンロのガスをスプレーのように、痛みの部位に吹きかけました。
プシューッ!シューッ!
コンロから出て来た超冷気が、Chaiの傷を凍らすようでした。
みるみる傷まわりが、赤くヤケドになっていくようでした。
ううっ、痛たたっ!
ううっ、何が起きたのですか…?
アブドラおじさんは、穏やかな顔をして何も答えませんでした。それからビニールを持って来て、淡々とChaiの足に巻き付けました。
そして「痛みがひどかったら病院ヘいこう。」と言っているようでした。
う~ん、かなり痛そうだけど….、ここからラクダに揺られて砂漠を出るなんてChaiは耐えられるだろうか….。
とにかく、Chaiをキッチンテントのイスに座らせました。
大丈夫 /ピッパリョ~ン!
Chaiは私に寄りかかり、痛みに顔をしかめ、時々
ううっ…、だ、だいじょうぶ…。痛たた…。
状況をみてとったSakiが来てくれて、流暢な英語でアブドラおじさんにChaiの様子を伝え、おじさんの言葉を私たちに伝えてくれました。私は、子どもの一大事なのに、英語がろくに話せず、自分の情けなさに泣きたくなりました。
アブドラおじさんが言うには、四輪バギーを呼んで、病院へ行く手配をしたという事でした。
Sakiは言いました。
「ラクダで来た砂漠の1時間半は、バギーなら20分で行けるって。」
ええっ!でも砂山のアップダウンは、Chaiに辛くないかしら?
そうか…、医者に行くレベルのことが起きているのか….。
時間は、夜の10時過ぎでした。
ブインッブインッ、ボッボボッ~…
四輪バギーのエンジンの音が響いてきました。キッチンテントの近くでアイドリングを続けていました。
アブドラおじさんは、Chai をよいしょと横に抱きかかえ、バギーのほうまで歩き出しました。私は、パスポートと貴重品と長いストールを持って追いかけました。
Chaiは、そんな痛さと不安で辛い時だというのに、アブドラおじさんにこんなことを聞いていました。
う~んイテテ….。おじさん、「ダイジョウブ」ってモロッコで何て言うの?
「ピッパリョ~ン!」
と聞こえました。
私はなんだか、腹立たしく悲しい気持ちになりました。
なんで、こんな一大事に、そんなふざけた響きの言葉なんだっ!
四輪バギーは、オフロードバイクにタイヤが4つ付いているものでした。
シートは二人乗りでした
ドライバーの後ろにChaiが乗り、Chaiを挟むようにして私がその後ろに座り込みました。二人乗りのシートに私のお尻がはみ出す感じでしたが、Chaiだけを、見知らぬモロッコの病院へ行かせる訳にはいかないのでした。
私は、ドライバー、Chai、私の3人の胴を、持ってきた長いストールで巻いてギュッと縛りました。
Chaiは呼吸も荒くなり、フッフッフ~...と痛みに耐えていました。
それでも、アブドラおじさんに向かって
ハアハア...ピッパリョ~ン!
おじさんも「ピッパリョ~ン!」
ああ、Chai….。
ブオン、ブオ~ンッ!
サハラ砂漠に弟置き去り
四輪バギーがいざ出発しようとした時
待って~!Denも乗せて~‼
Denが裸足で駆けて来ました。
あっ、Den…!乗れないよっ!お願い、待ってて!
Denをサハラ砂漠に一人置き去りにするなんて!
すると、SakiがDenの肩を抱えながら叫びました。
「Kumi3!
Denくんは私に任せて!
Chaiちゃんを看てあげて‼」
Saki、頼むね!あっ、だけど、私たちどこで再会出来るだろうか?
まさか…。
この傷…、入院もあるのかな?
いつ、どこに戻れるのだろうか?
電話もない、通信手段が何も無い….。
どこでDenと再会したらいい?
マラケシュ旅行会社で待ち合わせ
私たちとSakiの共通に分かる場所ってあるかな….。
あ、あった‼
とっさに思い付きました。
それはマラケシュの旅行会社の前でした。そして、Sakiも私たちも、時間のある自由な旅人でした。
Saki!いつ戻れるか分からないっ。治療が終わったらマラケシュの旅行会社の前に行くから。会えるまで何日でもそこで待ってる。Denを連れて来てくれるっ?
Denくんとマラケシュの旅行会社の前で
会えるまで何日でも待ちます‼」
超アバウトな待ち合わせの約束をしました。
しかし、それしか方法が思い付きませんでした。
ブロンッ!ブロローンッ…
四輪バギーがアクセルを全開にしました。
うをを~ん!
Denごめん!
今は仕方がないんだ!
3人が乗ったバギーは、砂漠を飛ぶように加速し、走り抜けました。
振り返ると、DenとSakiのシルエットが、みるみる小さくなっていきました。
砂漠の月夜を四輪バギーで駆ける
Chaiは、ううっううっ~ん!と痛みで呻いていました。
私は、内心
サソリなのでは?
ブバババババッ~
バギーに揺られながら、Chaiは私にむかって
痛ッ、痛いけど….、私ダイジョウブだからね….。
これは…、後で笑い話になるのだろうか?
それとも…。
そうだ、悪いことは考えないんだ。
カミーノでエリカが言ったように、心が届く言葉の使い方を思い起こしました。
そうだ、ポジティヴなシーンを思い浮かべるんだ。
夜が明けたら
Chaiは健康で元気な姿だ!
揺れるバギーにしがみつき、顔をしかめたり、胸の詰まる想いで祈ったり…、ワタワタした私たちを照らす砂漠の月は、きわめて冷静で私たちを追いかけて来るようでした。
バギーは、砂山の起伏を、次々にジャンプして飛ぶように駆け抜けました。
サハラ砂漠の入り口の元ホテル建物に着きました。
病院ドライブのシアワセ地獄
元ホテル建物に着くと、そこに一台の車が待っていました。
えっ、ここから車で?そこまで手配されていたとは、どういうこと?Chaiはかなりヤバいのかしら….。
普通車の車に、運転手、助手席にバギーのドライバー、
後ろの席にコワモテのおじさん、Chai、私の三人が乗りました。
車はやはり、オオッ、ウヤッ!と声が出るほど揺れました。
そして、全開の窓から砂ぼこりが舞い込み、乗って5分もしないで
このドライブは、つらい我慢大会だわ….。
Chaiは、痛みと激しい揺れで消耗が増しているのが見て取れました。
ウッウッ、痛い痛いよ~、ウウウ~ン。
すると、コワモテのおじさんが
「泣くと、もっと状況は悪くなるよ!」と言ってChaiを笑わせようとするのでした。
「ジャパ~ン!
シアワセ、シアワセ~!
♫ ポッポッポ~ハトポッポ~
マ~メガ ホシ~カソ~ラ ヤ~ルゾ~ ♪
アリガト~アリガト~フジヤマ~!…
この痛みと砂ぼこりと激しい揺れの車内で
歌とシアワセコールを
Chai に向かって延々と浴びせ続けるのでした。
その度に、きしむような笑顔を作り、痛みに耐えながら応えているChaiが、痛々しくて見ていられませんでした。
お願いッ!話しかけないで!静かに休ませてあげてほしいのっ!
んがあ~!
シアワセって言うほうが地獄だよ~!
そして、Chaiの手を強く握りしめました。
ガタガタッ、ゴトゴトッガタゴトゴットン~。
悪路に揺られ、ハトポッポ攻撃で休まらない車は
やっと停まりました。
サソリに刺されたね!
時間は夜の11時半でした。何かにチクッと刺された時から2時間が経っていました。
それは病院というより、一軒の大きな家でした。
玄関のドアをおじさんが開けると、中から背の高い眼鏡のおじさんが出て来ました。
雰囲気で、この人がドクターだと分かりました。
通された部屋は、医務室のようになっていました。
ドクターは、Chaiの傷をを見るなり言いました。
「それはサソリに刺されたね!」
ええっ!やっぱり!毒はどうですか?
ドクターは
「心配いらないよ。
砂漠のサソリは毒が少ないからね。
街のサソリは、太っていて毒も多いから危険だけどね。」
と言いました。
「ただ、毒の心配ないのだけれど刺された後の4、5時間は、もの凄く痛いから(なかには気を失う人もいるほど)痛み止めを打ちましょう。」と注射器の準備を始めました。
えっ何するの?切開しないよね?怖いよ~!
ドクターは、サソリの刺し傷のまわりを消毒し、4か所に痛み止めを注射しました。
そして、バンドエイドを貼ると
「もう大丈夫。歩けるよ!」
と言いました。
あ、ハイ….。サンキューベリーマッチ!えっえっえっ….。
サソリだけど、バンドエイドでいいんだ...。
おじさんたちが、ニコニコして迎えに来ました。ずっと心配して、外で待っていてくれたのでした。
治療は無事に終わり、再び車に乗り込みました。
医療にかかった費用は、請求されませんでした。
ハトポッポのコワモテおじさんは
「ツアーで保険に入っているからね。」ということでした。
意外とキチンとしてるのね!有難いわ!
また、ガタガタ道を行かなければならないと思うと、憂鬱にさせられました。
しかし戻りは、おじさんのハトポッポソングは無しにしてくれたので、揺れながらも少しだけウトウトする事ができました。
砂漠の月の下で寝る
元ホテルの建物に着きました。
見ると、外にベンチのようなベッドが二つ用意されていました。
おじさんは、ぶ厚い毛布二組を手渡し
「ここで寝てね。」と言いました。
星空の下での野宿でした。
それは、かえって有難いと思いました。ここからバギーで、Denたちのいるのテントに戻るのも体力が必要でした。
それに広い空気の下にいたほうが、Chaiにも良いと思いました。
う~んっ、痛み止め打っても、まだ痛いよ~。
そうしながら、私は今日のことを考えていました。
何でまた、Chaiが刺されたのだろう。
これは、どんな意味があるのだろう….。
子どもを連れてこんな冒険の旅に出るってことは、それなりに大きなリスクを抱えているのよね。カミーノで何もなかったことは奇跡的だったわ。Chai、こんなことになるなんて…、本当にごめんね。Denもどうしているだろう。心細くしているだろうな…。
数時間前、砂漠のてっぺんに立った時は、
感動にうち震え
「この日のために生きてきた!」
と思うほどでした。わたしの横でChaiも、同じように感激の声を上げていました。
でも、そのあとサソリに刺されてしまった…。
もしも重大な後遺症や、足を切断などといったことになっていたら…。
ああ、家にずっといたなら、安全だったか…。。
この旅は無謀だったのか…。
でも、でも….。
行って、そして見てみたかったんだ‼
カミーノも、サハラ砂漠も。
ここでまた、カミーノで出会ったエリカの言葉が思い出されました。
「チョコレートが甘いのを「知っています」というのと「信じます」の違いってわかる?
多くの人が、真実を知ろうとしないで、人が体験したものを「信じます」という立場で満足している。
「知る」っていうことは、体験する事、チャレンジすることだよね。
チョコレートが甘いのは当たり前じゃないよ。かじってみて、塩辛いチョコレートだってあるかもしれない。
行動して、傷ついて、がっかりすることもある。けれど、たくさんのつらい思いや経験を経たことによって、人生に深みが加わるんだよ。」
Chaiは、しばらく痛みに唸っていましたが、いつの間にかフッと眠りに落ちました。
私はChaiが寝付いた後も、魂が抜けたようにぼんやりと野外ベッドで月を観ていました。
月は、何事も無かったように凛と輝いていました。それは驚くほど明るく、美しく光って見えました。
いつまでも月を観ながら
行動してはみたけれど…、それでもこんなことになったらダメだよね。うっ、うう…。
月は、何か言いたそうでした。
砂漠の夜明け再会の時
野外ベッドに夜が明けました。
朝5時45分、太陽が近くまで来ている気配を感じました。
太陽が昇ったのは6時50分でした。
まわりの景色が少しづつ見えて来ました。
ドライバーやハトポッポおじさんたちも、周りの野外ベンチで寝ていました。
7時半、おじさんたちも起きてきました。
「お嬢ちゃん、足は痛いかい?」
はい、少しだけ痛いです。
明るくなってから見ると、砂漠と道路の境目にある元ホテル建物は、モダンな造りになっていました。
看板に、AUBERGE (オルベージュ)とありました。それはフランス語で(宿泊所)でした。
カミーノではスペイン語、ALBERGUE (アルベルゲ)でした。
こんな、洒落た窓が付いていました。
8時半ごろ、もう既に日が昇り暑くなり始めていました。
遠くに、ラクダに乗った隊列が見えて来ました。
あっ!あれはツアーのみんなかな?Denもいるかしら?
その中に、大きな荷物を背負ってラクダに乗っているDenの姿が見えました。
おお、来た来た~!
おじさんたちとChaiは、遠い目をして待っていました。
Denは、私たち3人分の荷物をしっかりと背負ってきました。
ラクダから、ゆっくり降りました。
ああ、Den!えらいね!一人でよく頑張ったね‼
これで、あてどもなく、マラケシュの旅行会社の前で待ち合わせる約束は、実行しないで済みました。
「Saki~、ありがとう!」
Sakiは言いました。
「Denくんは、Chaiちゃんのことを泣くほど心配して、サソリが怖くて、一睡もしていないんです。」
Den!そうだったの…。
ママっ!もう二度と砂漠には、泊まらないから‼
プッ!
吹いちゃいけない。
こんな砂漠に来るなんて、一生に一度有るか無いかのことだからさ。
Denにとって、家族と離ればなれでサハラ砂漠のテントで一夜を明かすことは、どれほど心細かったでしょう。
昨夜、砂漠のテントで応急処置をしてくれたアブドラおじさんは、Chaiに向かって言いました。
「君は、本当に強い子だね。よくあの痛みの中で笑顔を作って…。そして、モロッコ人でも滅多にサソリに刺されないんだよ。
サソリに刺されるのは運命なんだ。それはこれからずっと君を護ってくれるだろう。」
また、ハトポッポのおじさんは、
「サソリに刺されると強い抗体が出来て、身体が丈夫になるんだよ。」
また、ツアーに参加していたモロッコ人の女性も、驚きの声を上げながら
「大丈夫だった?
サソリに刺された人は、幸運の持ち主!って言われているのよ!」
と言いました。
Chaiはそこから、すれ違うたくさんのモロッコの人々に
ええっ!サソリに刺されたのか⁈
お前はスペシャルだ!
ストロングだ!
ラッキーだ!
と毎度毎度、声を掛けられるのでした。
ここで、ラクダツアーのおじさんたちとお別れでした。
「ハ~イ、ラッキーガール!」
一緒に記念撮影をしました。
そして、砂漠のテントに残されたDenは、アブドラおじさんが一晩中そばにいて助けてくれたのでした。
おじさん!ありがとう!さよなら!
「またおいで!」
えっ⁉う、うん…。
私たちは、ミニバスに乗り込み、マラケシュの帰路へと向かいました。
それは、またあのガタガタ道でした。
オオッ、アウッ!
揺れがお尻や脳天に響くのでした、
ChaiとDenは、それぞれ私の左右の肩に寄りかかり寝てしまいました。
ああ、ChaiもDenも無事でよかった!幸運なのは私だわ!今、こんな安堵の気持ちになってマラケシュに戻れるなんて!
何でもない事の有難さ‼
それを思い知らされたのでした。
マラケシュのリヤドに泊まる
朝8時半にサハラ砂漠を出発したミニバスは
見知らぬ町をいくつも通り抜けて
ピタパンサンドのランチ休憩を挟みながら
いくつもアラビア文字の看板を通り抜け
マラケシュまで12時間を走り抜きました。
夕方の8時半にマラケシュに着きました。
マラケシュのSakiの行きつけのお店でディナーを食べました。
そこのフルーツジュースは、
今までで一番おいしいジュース!
私は、この足で夜行バスに乗り、カサブランカの街に戻ろうかと考えていました。
カサブランカで泊まったツーリングホテルに、他のバックパックやメノルカ島でホセにもらったギターなどを預けてあるのでした。戻りの飛行機もカサブランカ発でした。
しかし、足の傷で消耗したChaiと乗り物酔いのDenは、明らかに疲れがみえました。
するとSakiが
「マラケシュのリアド(宿泊施設)の主人が友達だから、そこに泊まらせてもらえないか頼んでみようか。」と申し出てくれました。
それは、ありがたい‼
Sakiの後を付いて行きました。
リヤドの主人は、気さくな人で
「どうぞ、好きなだけ泊まっていいよ!」と言ってくれました。
そこには、長方形のギターがありました。何人かのミュージシャンが滞在していて、弾き方を教えてくれました。
それから、3人のミュージシャンが、ギターを弾いて歌っての素敵な生ライブを見ることが出来ました。とてもリラックスした夜でした。
寝不足だったDenは、早々に寝入ってしまいました。
翌朝。
居間に降りると、昨日のミュージシャンの人が、お茶を淹れてくれました。
お湯を足すときに、やかんの中を見ると
うわぁ、こんなにたくさん白い塊がこびりついてる!
マラケシュの物乞い
Sakiが、マラケシュの下町を案内してくれました。
途中、物乞いの老婆がいました。
私はこういう時、気持ちの居場所がなくなり、目を合わさないようにしてしまうのでした。その身なりや出で立ちに、私は彼らより豊かで助けてあげたいという気持ちもあるのですが…、
一人にお金を施したら、多くの物乞いに追いかけられてしまうような怖さがあるの….。また、こうしてお金が稼げてしまえば、働いて収入を得るという気持ちが起きなくなるかも….。働けない事情があるのかもしれないけれど…。
Sakiは、ひとつの答えを持っていました。
Sakiは、物乞いの老婆に近付き、しゃがんで同じ目の高さになり、手を静かに握りました。
お金はあげられないけれど、気持ちだけ。
あなたに幸運が来ますように…。
目でそう言っているようでした。
そんなこと、物乞いにしたら、
要らんこっちゃ、金くれ~!
と思うかもしれませんが…。
私もChaiもDenも、驚きと同時に衝撃を受けました。
Sakiって優しいね…。
Sakiって勇気あるね…。
マラケシュでサソリのお土産
ジャマエルフナ広場ばかりが、市場ではありません。
マラケシュは、地元の人や観光客で往来が多い賑やかな街でした。
布地屋の連なる横丁。
木彫りのお土産屋さん。
サボテンの実フルーツ売りのおじいさん。
超シンプルなスパイス屋さん。
露店の帽子屋さん。
私たちは、通りのお土産屋さんに入りました。
あ!これ買いたい‼
うへっ!サソリ?怖~い。
そろそろ、私たちが乗るカサブランカ行きバスの出発時間でした。
Sakiが居てくれたおかげで、どんなに助けられたことか!お礼を言っても言い尽くせないわ!
私たちはSakiと、それぞれギュ~ッ!とハグをして別れました。
Sakiは、あと半年ほど、世界を旅してまわるという事でした。
カサブランカに移動
カサブランカの街に着きました。
カサブランカは、マラケシュの喧騒に比べると穏やかな街に感じました。
ロバ君は、いつでも働き者!
我らがツーリングホテル。ホテルのおじさんは、しっかり荷物を預かっていてくれました。
家族、友だち、学校にポストカードを書きました。
今晩は、お向かいのレストランでモロッコ最後のディナーを食べよう!
夜になると、タジンのディスプレイが赤く照らされました。
やはり地元料理、タジンでモロッコの旅を締めくくりました。お値段は、3人で53dh(¥480)の納得の価格でした。
明日の飛行機は13時発、パリ行きでした。
モロッコさようなら!
翌朝、9時にホテルのおじさんが見送りをしてくれました。
おじさんは、ポストカードをポストに出しておくよと快く引き受けてくれました。
そしておじさんは、Chaiの足を見るなり
「なに~っ!さそりに刺されたのだって‼
それはね。君は幸運になるっていう、しるしなのさ!」
えへへ!また言われちゃった‼
おじさんが呼んでくれたベンツのタクシーで、カサブランカ空港へと向かいました。
ベンツのタクシーは、途中、仲間のドライバーに道を聞き2回Uターンをするという、道に迷いながらも⁉なんとか空港へたどり着きました。
アラビア文字ともお別れでした。
エア・モロッコに乗り込みました。
さよなら~‼モロッコ~!
Denは、離陸するとすぐに寝てしまいました。
Denは、Chaiのサソリ大事件の影で、家族と離れて砂漠のテントに一泊し、一晩中心細さに耐えながら泣くほど心配してくれたことも、忘れてはいけないファインプレーでした。
もうすぐ日本へ帰るけれど、私たちのカミーノやモロッコの旅を心配しながらも、毎日仕事や学校に行って日常生活を送っている家族もまた、私たちの大きな支えになっているのでした。
どれもこれもが繋がっているな~!
ラッキーでストロングでハッピー!
この、スペイン・カミーノから始まり、モロッコで終わる旅で感じたことは
例え失敗したとしても、
「必ず助けがあったり、何か生きるヒントになるメッセージを受け取る!」ということでした。
靴が木になっていたり、何も無い所からオムレツが作れたり。そしてカミーノのホセやアラン先生、
Sakiのような助けの神が現れたり…。
だから、失敗を怖れないで気楽に構えてチャレンジしていこう!
大きなことでも、小さなことでも。
それは日常生活に戻っても!
マイナスがプラスに転じることもあるものね‼
Chai、大変な旅だったよね。傷はまだ痛むでしょ。カミーノでスペインの道を930㎞歩いても、靴ずれ一つ出来なかったのにね。まさかサソリに刺されるなんて…、怖かったね。モロッコはイヤな思い出になっちゃったかな…。
大丈夫、ピッパリョ~ン!モロッコ大好きだよ。Sakiみたいに英語上手になって、また来たい!。一人で旅出来るなんてカッコイイな‼それに私、ラッキーでストロングでハッピーなんでしょ!
そ、そう⁉それを聞いてママもホッとしたわ。旅を恐れなくてもいいかな。ピッパリョ~ン!
これがあの時、野宿ベッドで観た
砂漠の月の答え のような気がしました。
飛行機はパリに到着し、その後日本へと向かいました。
帰国後、Chaiは、サソリに刺されたという事で、学校で妙なハクが付いたのでした。
「サソリに刺されたんだって⁉
なんか…、なんかスゴイねっ~!」
それで、ちょっとだけ生活しやすくなったのでした…。