17/60カミーノで子育て先輩の言葉、子どもに旅は貴重な経験
5/2 (日)→レデシージャ・デル・カミーノ / 靴下捜索隊! 10.3km/€10 暖炉がある宿 寄付€3
昨日は荷物が重く、ヨロヨロになってアルベルゲに着きました。温かいシャワーと、もらった食材で満ち足りたディナーを食べることができました。
しかし、肩と背中が張っていて、一晩寝ても、疲れが取れた気がしませんでした。
ちょっと朝寝坊してと…、
のん気にゴロゴロしていたら7時半を過ぎていました。
トイレに起きたChaiが
ここは8時に出されてしまうよ!
ええっ!まずいわっ、急げ~!
慌てて荷造りをしていると、アメリカ人の女の人が、しきりに探し物をしていました。這いつくばって、寝袋をひっくり返し、マットレスをこじ上げ…、
その取り乱し様は、だんだんまわりの人にも伝染してきました。
どうも、片一方の 靴下が行方不明 のようでした。
「ええっ〜、それは大変!」
と、部屋のメンバーが急きょ、靴下捜索隊となりました。
支度で急いでいる私でしたが、無視するわけにもいかず、それっ協力!とあたりを見回しました。バックパックの周りに靴下らしきものはありませんでした。
隣のベッドの下を、杖で探ってみました。
すると、ベッド下から埃がついた何かが、杖に引きづられ出てきました。
「ん?これかしら?」と
ほこりを取りながら振って見せると
「オーマイ ガッ〜‼」
彼女は私にハグをし、飛び上がって喜びました。
部屋のメンバーの誰からともなく
「グッジョブ〜!」と声が掛かり、拍手がわき起こりました。
これで靴下捜索隊は、無事解散となりました。
そう、これは大袈裟でもなんでもなく、持ち物のうち、
靴下一足でも失くしたら大変なこと!なのでした。
長いこと、道を歩くカミーノは、背中の荷物を軽くするため、最低限の家財道具しか持ち合わせていないのでした。その内の何かひとつでも無くなると、いっきに生活が不便になり、旅の予定が狂ってしまうのでした。
ボールペン、ハンカチ、髪を束ねるゴム、ヘアピン、ビニール袋、スプーン、洗濯バサミ…、どれ1つ取っても、いま持っているものは、選ばれたものたちばかり!
決して失くせない物なのでした。
例えば…、失くせない持ち物たち。
爪切りは重く感じましたが、私たちは3人なのでけっこう重宝しました。
スプーンの右の赤い小さなケースには、塩を入れてありました。時折、サラダや肉に味が無い時があり、そんな時にパパッと振りかけていました。
その隣のキーホルダーのペンライトは、夜中にトイレに行くとき、まわりを起こさないように足元を照らしました。
食べ物が無いニャーン!
靴下は、全部で3足でした。一足分しか、余裕はないのでした。
小雨、寒い朝ごはん。
アルベルゲの閉まる時間ギリギリに出発したため、朝ごはんは道すがら食べようということにしました。
今日は寒いね〜!
サント・ミンゴ・デ・ラ・カルサーダの街、さよなら~!
橋からの景色はどうなってるのかな?
グッジョブだね。
水たまり、すべるよ。気をつけて〜。
朝ごはん休憩しよう~。洋ナシとハムパンと水。 温かいものは無いのよ~。寒いわね…。
杖を持つ手がかじかむね。手袋が必要だ〜。
小雨が降ってきました。まだ、カッパを着なくても大丈夫。
途中、小さな町を通過しました。
グラニョンの教会です。目指すアルベルゲは次の町でした。
カモミールティーで温まる
10km歩いたところにあった、公営アルベルゲに入ることにしました。
時間は正午でした。天気も良くない上、寒いので早めに休むことにしました。
私は昨日、22㎞をいつもより重い荷物で歩いたので、疲れが溜まっていました。よいタイミングでアルベルゲがあり、ホッ!としました。
あら、嬉しい!宿泊費は寄付だったわ! 今日は雨が降るし、寒かった〜!
パスタを茹で、トマトソースに絡めただけの簡単なランチを作りました。
持っていたカモミールティーを入れて温まると、3人はベッドに広げた寝袋に入り、2時間ほどグッタリと昼寝をしました。
カモミールティーは、3人が好きで、一緒に飲むことができるハーブティでした。
ノンカフェインでお値段もお手頃、スペインのどこでも手に入りました。味と香りがスッキリしていて、リラックス効果も抜群でした。
本物の暖炉
昼寝から覚め外を眺めると、まだ小雨が降っていました。
ううう、寒い~!
アルベルゲの1階がバルになっていて暖炉があるよ!
わあ~、本物の暖炉‼︎ あたろう、あたろう!
私も日誌を書くことにしました。飲み物とお菓子を買い、午後はずっとバルで過ごしました。
薪をくべる本物の暖炉を、間近に見るのは初めてでした。暖かくて離れられなくなりました。
学校を休むチャレンジの大先輩!
フランス人のおじさんが、英語で話しかけてきました。
「日本の子どもは、この時期はホリデーなのかい?」
いいえ。学校は休んできているのです。だから、いま宿題をやっているのです。
おじさんは言いました。
「いいんだよ、勉強なんて大丈夫さ。私は10年前、12歳と14歳の娘を連れて
家族で南米大陸を6ヶ月、旅をしたんだ。
学校?もちろん休んでね。
帰ってきてから子どもたちは、勉強が遅れるどころか、
かえってできるようになっていたさ。
いろんな事を、集中して、自分で感じ、考えるようになったのさ。
子どもにとって旅ってのは、素晴らしく貴重な体験なんだよ。
そのために学校を休むことなんて、これっぽっちも問題じゃないんだ。」
わあ~、そうですか‼
私たちはカミーノを歩くチャレンジをしていると同時に、学校を休むというチャレンジをしている最中なのでした。
フランス人のおじさんは、
旅と学校を休むチャレンジの大先輩でした。
その結果
「勉強がかえって出来るようになった!」というその言葉は、帰国後の不安をやわらげてくれるような嬉しい南風のように感じました。
そして、おじさんの言葉で、学校を休む時のことを思い出しました。
小学校を休む時はそよ風
Denは小学校5年、Chaiは中学校3年でした。
カミーノへ行くためにそれぞれ学校を休む段取りが必要でした。
Denは春休み開けに
「スペイン巡礼の道、800㎞を歩いてきますので、来週から学校を3ヶ月お休みします。」と新学期早々、担任の先生に伝えにいきました。
担任の先生は、他校から移動してきたばかりでした。
「はあ、スペインですかっ!お気をつけて…。後で写真を見せてくださいね!!」
小学校は、それだけで済んでしまいました。
そよ風 のように、穏やかに事が運びました。
中学校の担任の先生は追い風!
問題はChaiの中学校でした。来年の春、高校受験が待っていました。
まず始め、年明け早々に中2の時の担任の先生に相談しました。
「中3の春から2、3ヶ月、学校を休んでスペイン巡礼の道、800kmの徒歩の旅に行きたいと考えているのですが、先生はどう思われますか。もう、この5ヵ月、登校しても頭痛や腰痛が出て、保健室で休んでいます。徐々に欠席が増えてきています。けれど、この時期に長く休むという事は、高校受験のことを考えると…、無謀ですよね?」
すると、担任の先生は、とがめるどころか
「それは素晴らしい経験です。一生でそんな経験をできるチャンスは、なかなか無い!
今のこの状況の中、旅に行けるなら、ぜひ行くといい。2か月でも、6か月でも。長い目で人生を考えたらいいと思います。高校受験の当日には日本に居るのでしょう?問題ないですよ!」と言ってくれたのでした。
嬉しい!分かってくれる人がいた!
うん、よかった。担任の先生は、私の状況をとても心配してくれていたから。
担任の先生の言葉は、強く私たちの背中を押してくれる
追い風になりました。
中学校長は強風注意報発令!
担任の先生から報告が伝わったのでしょう。Chaiと私は校長室へ呼ばれました。
私たちは、小さくなって校長室のソファに座りました。向かいに校長先生、学年主任の先生が並び、私たちとお見合い状態でした。
校長先生は
「この中3の大事な時期に、学校を3か月も休むのですか?こういうことは前例にないんですよ。カトリックでもないのに、カトリックの巡礼ですか?お子さんの評定ゼロですよ。高校受験をちゃんと考えているのかね?」
「評定ゼロ、、。承知いたしました。家の方針です。」
「旅行に行くなら、今じゃなくてもいいでしょう。お母さんのわがままに、付き合わされるようですな…。」
「家の方針です。」「家の方針です。」「家の方針です。」「家の方針ですので…。」
校長先生の言葉の中には、お姉ちゃんが学校へ行けていない状況についてのコメントは、ひと言もありませんでした。 知らないのかしら…。
最後は「では、どうぞ、ご自由にしてください!」と言われ、面談は終わりました。
校長は私たちにとって、まさしく台風ような
向かい風でした。
旅が先生で教室、心配はどこ吹く風
このヤマは大きいなぁ。校長先生、怖かったなぁ。800kmも歩けるかなあ。スリや強盗に遭わないかなぁ。ケガや病気、大丈夫なぁ。ちゃんと迷わず宿にたどり着けるかなぁ。野良犬に噛まれないかなぁ。学校を休んで平気かなぁ。高校受験できるかなぁ。
行くと決めたものの、次々といろいろなことが心配になってきました。
けれど 行ってみなければ、わからな~い!!
もし、家にいるならば、学校、勉強、受験などを、あれこれ気にしながら、登校すると出現する頭痛と腰痛、そして病院への通院と痛み止めの服用を続け、カウンセリング等をしながら過ごすでことしょう。
ここしばらくChaiの笑顔を見ていませんでした。
食事も、空腹感なく、ただ食べているといった感じでした…。
ところが...今!
スペイン、カミーノを歩き出すと
心配なんてどこ吹く風!でした。
始めのころは勝手がわからず、精神的にも体力的にも大変で、頭痛が出る日もありましたが、歩く日々を重ねるうちに
あ~、お腹すいた~!
と大きなバケットサンドをパクパクパクッ~!と
夢中に食べる姿は、生命力に溢れていました。
そして、巡礼の旅が2週間を過ぎた頃、ChaiとDenは
世界中の人に慣れてきました。
そうよね、ずっとママと一緒ばかりじゃ、飽きちゃうわよね…。
歩く道で、またアルベルゲに到着して、何かわからないことがあれば
各国の人とコミュニケーションをとり、自分たちで調査し、情報を得てくるのでした。
英語が話せないDenですら、身振り手振りでトイレやシャワーの場所や、コーラの値段、犬の名前など…etc.情報を仕入れてくるのでした。
学校で、先生に教えてもらう生徒という立場は、ここには無く
知りたい事は自分で調べて手に入れる!
旅が教えてくれる先生で、その場その場が教室となっていました。
おかげで、ガイドブックもスマートフォンも無い私は
本当に、ChaiとDenに助けられ続けたのでした。
民家のポストが郵便ポスト?
アルベルゲのBar(バル)で、家族や友人にポストカードを書きました。
外は雨が止んだようでした。 寒いけど、町の探索に出よう。ポストを探しに行こう。
アルベルゲのオスピタレロに聞くと
「大通りをまっすぐいくと、大きなレンガの建物にポストがあるから、すぐにわかるよ。」ということでした。
私たちは、出てすぐの大通りを行きましたが、ポストは見当たりません。
レンガの建物はいくつかあり、通り過ぎる度に、辺りを見回すのですが、やはりポストはありませんでした。
反対側の通りだったのかな?? 寒〜い! どこなの?
たまたま、向こうから来た地元のおばちゃん2人に
ハガキを見せると
「Si 、Si (オッケー)」と言って、わざわざポストまで案内してくれました。
あ〜、そこ、何回も通ったのよ!
ポストは、普通の家の郵便受けのように小さいものでした。建物の横に入ったレンガの壁に付いていました。
あ、これだったのね…。
黄色くて丸い道に立っているポストは、前に目にしていました。
人の家のポストだと思ったわ〜、小さいわぁ、こりゃわからんね~!
バル慣れしてきた!
教会が見えました。
教会のこちら側は、丸い窓があるしゃれた建物でした。
ミニスーパーを見つけ、買い物をしました。
その帰り道、Denはトイレに行きたくなってしまいました。
道すがらバルを見つけると
ちょっとトイレ借りてくるね!
小さなバルだけどね…。 勇気あるよね…。
Denは無事トイレを借り、バルのドアから出る時に
「グラシアス〜!」と身をよじりながらお店の人に向かって言いました。
寒い、はやく帰ろ!
へぇ〜、随分と慣れたものねえ~!
はじめの頃は バルでトイレ貸してくれるから!行っておいで!
一緒に来て~。1人じゃ入れないよ~ッ‼︎
Den、イイね〜、こんな風にサクッと1人でトイレに行ってくれると。ホント助かるわ〜!
インスタントラーメンは強い味方
たまに、スペインのスーパーやお店の棚にインスタントラーメンが置いてありました。見つけると積極的に買っていました。
日本では、夕食にインスタントラーメンというのは、手抜き感が否めないのですが、カミーノの借り物キッチンでは、ちょっと話が違うのでした。
むしろ、とても重宝しました。パスタよりも短時間で火が通り、茹でこぼさなくてもOKで、スープに具を入れることができました。しかもスープの味に「ハズレ」がないのでした。
今日の夕食は、Chaiが作ってくれました。
アルベルゲには、どんぶり型の食器はありませんでした。
コップにラーメンを注ぎました。温かいスープが胸に沁みました。寒い日のヒットメニューでした。
パスタの献立が多い中、インスタントラーメンはマンネリ打破でお手軽、カミーノの自炊生活の強い味方!なのでした。
暖炉の部屋で再び
夕食後も、まだ陽が暮れませんでした。
寒いので、バルの暖炉のそばへいきました。
ChaiとDenは、しばらくスペインのテレビ番組のバラエティを観ていました。
それからだんだん寒くなり暖炉のそばへと、行きました。
火が燃えているのを見るって、飽きないね~。
うん、わたしも好きだな~。
ママも。子どもの頃、お父さんが建築の廃材を持ってきたのでね、お風呂を薪で焚いていたのよ。そんなこと、東京では珍しいことでね。その風呂焚きは子どもの仕事で毎日なの。大変だったけれど、ぜんぜんイヤじゃなかったナ。炎を見ていると気持ちが落ち着いたのね。今は、もう火を燃やすことは出来ないけれどね。
暖炉の薪が白い灰になるまで、バルで過ごしました。
さあ、もう寝ようか。
今日は、ChaiとDenが二段ベッドの下の段なので、私も安心して眠ることができました。