24/60スペイン巡礼は心の旅、子、娘、妻、母、役割のない自分で歩く道
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「学校に行けないなら、旅に出てみようよ!」と不登校をきっかけに15歳次女と弟10歳を連れ、サンティアゴ巡礼・カミーノへ行くことにしました。930kmを60日間かけて歩きました。もちろんカミーノは初めてです。英語もろくに出来ない私は、一体どんな旅になるのか見当もつきませんでした。そんな体で子どもたちを、異国のスペインに連れ出してしまうのですから、本当にチャレンジャーでした(-_-;)。はじめは、歩き慣れず、背中の荷物も重く、泣きが入った子どもたちでしたが、五感をフルに働かせ、次第にたくましくなっていくのでした。
5/9(日)→カスティージャ:足マッサージの儀式 19.7km/€51 民間バル付き @€5×2
とても寒い朝でした。
ChaiとDenに、出発まえの恒例、足クリームマッサージをしました。
足の指と指の間に空気を入れるように広げ、親指と人差し指でつまみハンドクリームを塗り込みます。かかと、くるぶし足全体にもクリームをすりこみました。
それから靴下、靴を履いてもらいます。
これは毎朝、眠~いボケボケ頭から
“さあ、今日も歩くよ!”という切り替えの合図となるちょっとした儀式でした。
今日は仲なおりの儀式になるかな…と思いました。
Den
とDenはいつもの通りでした。
Chaiに「足クリームするよ。」と声を掛けると、寝袋のチャックを下げ、無言で左足を出して来ました。
左足が終わるとまた、無言で右足を出して来ました。
Kumi3
温かい飲み物は貴重
アルベルゲの階下のバルで、朝食をとりました。
チョコクロワッサンとコラカオでした。
温かい飲み物は貴重です。これから寒い中を何時間も歩き、いつ温かいものにありつけるかわからないのです。大事に飲みました。
その時も、Chaiは一言もしゃべりませんでした。
Kumi3
今日はお母さんの役割をやめてみる
Kumi3
追いかけて
「なんか態度悪いよ。どうしたの?」とわざわざ言うのもね…。
放っておいて欲しい時もあるだろうし…。
私だってそう!
今日は、DenやChaiのことを気にして歩く事をやめてみようかな…。
つまりは…
お母さんの役割をやめてみよう!
子どもたちの生まれた頃、幼い頃の話ばかり思い出し、話してきたけれど…、
今日は自分の生い立ちや子どもの頃のことを、思い出しながら歩くことにしよう。
Kumi3
そう決めて歩き出しました。
幼い頃のエピソードに没頭
映画を観るように、こどもの頃のシーンが蘇ってきました。
以前住んでいた家の間取り、閉める時にコツがあるお風呂のドア、子どもタンスに貼っていた雑多なシール、小学校の校庭のヒマラヤ杉、同級生が着ていた服の柄…。
さらに、様々な情景が思い浮かんできました。
夕方になると、お隣のおばちゃんの家にあがりこんで、イトコと妹とおじいちゃんと掘りごたつに入り大相撲を一緒に見ました。
おばちゃんが漬けた白菜のお新香を、バリバリと食べながら。煮豆だけはつまみ食いするとおじいちゃんに「こらあ~っ!」と怒られました。
いつもおじいちゃんは、かっぱえびせんと少し甘いポリコーンを、お菓子鉢で混ぜて出してくれました。おじいちゃんオリジナルの甘辛おやつでした。
インコをずっと飼っていました。ジュウシマツも。
毎朝、鳥カゴの底の新聞紙を取り替える役目をしていました。
あの頃、友だちみんなが、セキセイインコを飼っていたっけ…。
そうだ、私はおしる粉が大好きでした。
お母さんが大きなザルの上に小豆を広げ
「小石取ってね。」と言うと
「あ、おしる粉を作ってくれるんだ!」と分かり、嬉々として小石を取り除いたのでした。 (あの頃の小豆には小石が混じっていたのでした。)
お父さんが建築の廃材を持ってきて、それでお風呂を薪で焚いて沸かしていました。街の中でそんな事が出来た時代でした。
「もうヤダッ!友だちの家みたいに、スイッチ一つで沸かせるガス風呂にしてよっ!」と口では文句を言っていたものの、本当は薪で焚くお風呂が大好きでした。ほぼ毎日、お風呂の釜に火を点け、薪をくべ、お湯が沸くまで火の番をしました。
炎はいくら見ていても飽きることがないのでした。焼き芋を作ることもできました。
いつも秋になると、庭で柿の収穫をしました。
長い三叉で、お母さんが柿を枝からねじり切り、落ちてくる柿を私が野球のグローブでナイスキャッチしました。大きくてゴマの入っている柿は、甘く美味しくて毎年の楽しみでした。
ある日、学校から帰って来ると、柿の木が切り倒されていました。数本の丸太になって地面に転がっている柿の木を見て、ものすごく驚き、ランドセルのまま座り込みオイオイと泣きました。
古い友だちが死んでしまったかのようでした。
昔からあった柿の木
生まれた時からあったのに。
木登りができたのに。
ゴム紐を結んでゴム段ができたのに。
お母さんと柿を取るのが楽しみだったのに…。
おじいちゃんは
「日当たりが悪くなったから切ったんだよ。」と言いましたが、納得がいきませんでした。
それで、しばらくおじいちゃんの家に行かなくなりました。
歩きながらその時の無念さが蘇り、涙が滲んできました。
いいことも、悪いことも...
思い出せる限り、子どもの頃のことを胸に浮かべながら歩きました。
自分のルーツを探す心の旅
歩きながら、私は母親という役割に、はまり過ぎていると思いました。
スペインのカミーノに来ても、
お母さんとして頑張らなくちゃ!と思ってやってきました。
学校を休んでカミーノに来るということは普通と違ったことをしているのでした。
日本の社会の風潮は、皆、同じことが良しとされています。大きな流れに逆らっていくということは、それなりの風当たりがあることも、わかっていました。
だからこそ、私は安全に、このカミーノをいうミッションを終わらせなければいけないという、使命感も追加されていました。
もし何かあったら、人生のチャレンジが単に「無謀なこと」として終わってしまうのでした。
そして、カミーノを歩く子どもたちの補佐をする母としての私という役割
これを今まで、ずっと疑いなく続けてきました。
けれど…、
私自身にとっても、このカミーノは
人生の大きな出来事に変わりないのでした。
かつてないほど
身体と心と魂と語り合う
かけがえのない日々となっていました。
「どうぞ、自分自身のカミーノを歩いてください。」
そんな言葉が浮かんできました。
せっかくカミーノに来たのだから、
いつまでも、子どものわき役でいる気持ちは、やめてください!
と、カミーノは私に言っているようでした。
私は母親になる前は1人の子どもでした。そこから始まり、ずっと自分自身を探し、考えて生きてきたはずでした。
何が好きだったか、
何が嫌だったか、
何が怖かったか、
何が楽しかったか、
何がつまらなかったか、
何になりたかったか、、、、
そこには自分のルーツがあるのでした。
今、それらを忘れてかけていたのでした。
今日は歩きながら、
それらを記憶の底から掘り出し、日に当てる作業をしていきました。
思い出せる限りの幼い頃の記憶から、子どもを持つまでの様々なエピソードなどでした。
それは、古い記憶ですが、今まで時間を気にせず思い出すことなど無かったので、実は新鮮とも思える「心の旅」でした。
この、一日に6,7時間、時には10時間以上歩くカミーノでこそ、それが可能でした。
そうして、なんだか私もひとりの自由な生きものだったんだナ…と感じてきました。
そんなこと、誰もが当たり前のことなのだけれど…。
違う当たり前が主流となり、私をぐるぐると取り巻いていました。
家族単位、子ども中心の生活。
家族にとって、子どもにとって…
もっとよい暮らしに、もっと楽しく、もっと勉強を、もっと喧嘩なく、もっと美味しく、もっと安く…。
子どもの好きな食べ物、子どもの好きな場所、子どもの好きな事…。
あらゆる生活の切り盛りで頭がいっぱいになっていました。
そうして、自らをかえりみることなく過ごしてきました。
本来の自分の感覚に鈍感になっていたことに気が付きました。
日本に帰って家族単位、子ども中心の生活に戻ったとしても、今日一日かけて丁寧に思い出した子どもの頃の記憶、そこから再発見した自分のルーツを持って帰り、大切に胸にしまって置いて、いつでも見れるようにしておこう!
Kumi3
役割のない自分になって歩いてみよう。今日は、子どもたちを追いかけないことにしてみよう…。
Kumi3
Denがなんかいる!と止まりました。
イボガエルでした。踏まれちゃうよ。
杖で追い立てて、草むらに追いやりました。
崩れかけた門。それでも、素敵だね。
アルベルゲは、この町の先だよね。
古い石造りの教会、何百年と変わらない姿は力強さを感じました。
子どもたちに、いちいち、これは見せなくちゃ!って思うのはやめてみよう。今日は母親の役割の目じゃなくて、自分自身の目で見て感じてみよう。
Kumi3
そして例えば今後、私が…
もし、夫と二人でカミーノに来たら妻の役割で歩く…。
また、もし、父と二人でカミーノに来たら娘の役割で歩く…。
もちろん、その役割の意味と絆を確かめ、喜んでそこにいるとしても、役割の無い自分自身の目で歩くことも、忘れないでおこう!と思いました。
カミーノは自分自身のものなのだから!
髑髏(どくろ)が壁に浮き彫りになっていました。
日本では、髑髏を見るとギョッ!としてしまうかもしれませんが、カトリックで髑髏とは
「死を身近に感じることで、今を大切に生きる」という意味の象徴とされているのでした。教会の彫刻、絵画のモチーフとして、よく見掛けるのでした。
こんなお墓がありました。
よく見ると墓石のデザインが、素敵でした。
まだ無言のChai
町外れのバルで、トイレを借りました。何もオーダーしなかったのですが、手作りのクッキーを分けてくれました。
食料雑貨店でパン、缶詰め、ナッツ、キャンディ、トランプを仕入れました。日曜日なのに、開いているとはありがたいお店です。
Denはピパスを買いました。ヒマワリの種です。照り焼き味がサイコー!
口の中で殻をカリッと割り、プッと吹き出しながら実を食べます。それが楽しいのと、お行儀が悪くても許される、楽しいおやつでした。
大人もビールと一緒によく食べていました。
バルのテーブルの下に、ヒマワリの殻がたくさん飛び散っていました。
丘の上からの景色です。雨が降りそう…。
素朴な木の橋を渡りました。田舎道はまだまだ続いていきました。
Chaiは、黙々と先を歩いていました。
Kumi3
私は、すでに気にしない事にしていました。
そしてまだ、自分の心の旅に夢中になっていました。
今日は歩きながら、ChaiとDenと距離が離れても、今までみたいに声を掛けたり、追い着く努力をしませんでした。
そのことに何か変だぞ?と思ったのか、Denはいつも以上に振り返りました。
Den
Den
Den
Den

巨大スプリンクラーが腕を広げ
「ようこそ、カステージャへ!」と言っているようでした。
再び雨が降ってきました。
石橋を渡りました。
やっと、今日の目的地の町に入りました。カスティージャでした。朝8時に出発して、今ちょうど14時です。距離は20㎞でした。
Den
Kumi3
美味しいニオイが漂ってくるアルベルゲに、私が先導しフラフラ~ッと入りました。
小じんまりしたアルベルゲでした。清潔な感じで良さそうでした。
2階に空きがあるので、荷物を置いて来いといわれました。
部屋のベッドに荷物を置き、靴をサンダルに履き替え、トイレを借り、クレデンシャルを手に持ち、お金を払おうと受付に向かいました。
その直前に…。
Chai
と言い出しました。えぇ〜、荷物まで置いてしまって…、ちょっと気まずいわ~
Kumi3
けれど、Chaiは強く主張しました。
Kumi3
なんかね、わからないけど、あそこがいいなと思ったから…。
Chai
ここもなかなか良い感じでしたが…。
荷物も靴も2階のベッドに置いてきたけれど…。
ちょっと、宿の人に申し訳ないけれど…。
Kumi3
私がアルベルゲを決めてしまったことへの反発かな、とも思いましたが、旅はカンがとても大事です。
そして私は、母として、リーダーとして、当然のように取り仕切るのは止めました。
Chaiの直感に委ねることにしました。
巡礼者は、10メートル戻ることさえイヤなのですが、
Chaiが今日、初めてしゃべったのも嬉しくて
尊重したいと思いました。
赤い屋根のアルベルゲ
赤い屋根アルベルゲでした。
椅子とテーブルも赤で揃えていました。
バルと併設していました。
クレデンシャルにスタンプを押してもらいチェックインすると、ここは老夫婦が2人で切り盛りしている事が分かりました。
おじいちゃんが料理人、おばあちゃんが、受付やベッドまわり、掃除を担当していました。
宿代は2人分で良いと言ってくれました。
Kumi3
ベッドを案内してくれました。
オスピタレラのおばあちゃんは
言わなくても3人を下の段にしてくれました。
「子どもは落ちるのが怖いものね。」と言いながら。
各ベッドに毛布が1枚付いているのですが、子どもたちが寒いといけないと
おじいちゃんが毛布をもう1枚、持って来てくれました。
嬉しいなあ~。
バルの外の椅子でランチにしました。
そのあと、洗濯とシャワーを済ませました。
お湯も熱くいいシャワーでした。
Den
私は日誌を書き、子どもたちも日誌や宿題をしてから、トランプで遊びました。
まだ、夕方の自由時間はいっぱいありました。
町を探索してみました。
しかし、お店は日曜日でどこも閉まっていました。
夕食はどうしようか。パンの残りと缶詰めがあるのよね…。
Kumi3
すると、おばあちゃんから
「お代は1人分でいいから、ディナーを食べていきなさい。」と声を掛けてくれました。
それはありがたいです、ぜひ!とお願いしました。
ディナーは夕方7時半に、バル集合でした。
ピルグリムディナー
カミーノにはピルグリムディナーといって、巡礼者向けのディナーコースがあります。前菜、主菜、デザートで構成されています。それは、単品で頼むよりも断然お得なお値段でした。だいたい€10前後でした。
前菜をサラダか、スープか、パスタかを、選ぶことができました。Chaiはサラダ、私はスープ、Denはいつもパスタにしていました。
主菜はたいてい肉か魚料理。フレンチフライポテトとパンが付いています。
デザートはプリン、ヨーグルト、りんごなどから選ぶことができました。
Denの前菜のマカロニパスタを、おばあちゃんが運んできました。
お皿にいっぱいでした。
ところで、毎回のようにDen、これは前菜なんだよ、そんなに食べて主菜を食べられる?
Kumi3
Den
と言い切るのでした。
前菜のパスタを食べ過ぎて、主菜が来た時には
Den
と言ってメインディッシュを食べられないという事を何度も繰り返していました。
今日も
Kumi3
とアドバイスをしましたが
Den
と強気に発言でした。
ほ~んと⁇
結局、せっかくのポークソテーも、ひと切れ食べて…
Den
ギブアップしてしまいました。
Kumi3
私の豆のスープは、甘くないおしる粉みたいでした。
Kumi3
今日、歩きながら子どもの頃のおしる粉のことを考えていたので、この「塩おしる粉」とも言えるスープの登場が妙に嬉しく、ニヤニヤしながらいただきました。
私は肉をあまりとらないので「何かないかしら?」と聞いてみると
目玉焼きが3つ出てきました。
うわぁ、黄身トロトロのいい焼き具合~!
どれも熱々ポテトが山盛りでした。
そして、ハウスワインも飲め飲め〜とボトル一本を置いてくれました。
もちろん無料!
普段は、あまりお酒を飲まないのですが、カミーノに来てすっかり赤ワイン好きになってしまいました。
美味しい!アルコールに弱い私ですが、ボトル半分を空けてしまいました。すっかりハッピー気分でした。
アルベルゲの優しいおばあちゃん
手が空いたおばあちゃんが、テーブルに来てくれました。
おばあちゃんは昔、ブルガリアから来たそうです。
「知らない国に来るってことは、本当に何もかもが不自由で大変なことね。子どもたちと、よく遠い日本からスペインに来てくれたね。」と言いながら、
食べ切れなかった肉やポテト、皆なのテーブルの手のつけていないパン、りんごなどを
「明日のお弁当にしなさいな。」と包み、持たせてくれました。
大きなお土産袋ができました。
今日は日曜日でした。お店がどこも閉まっていて、明日の食料を調達できない中、とても助かりました。
9時半の夕焼け散歩
食後、まだ明るいので3人で近くの公園を散歩しました。
雨があがり、爽やかな風、空が眩しく映りました。
Chaiに聞きました。
Kumi3
ううん、なんとなく。本当に、ただ、ここがイイナ〜!って感じただけなの。
Chai
戻って大正解だったよ!
ただ、通り過ぎただけなので、優しいおじいちゃんとおばあちゃんが居るなんて、知る由もありませんでした。
なんだか、心もお腹も満たされて魂が微笑んでいるような心地良さを感じました。
公園の遊具で遊びながら、夕焼けを待ちました。
9時45分の夕焼け、日が落ちていきました。
今日は、同じようにカミーノの道をあるいてきたのだけれど、少し違っていました。
もちろん、母親として、ChaiとDenとカミーノを歩くのは変わらないけれど、そうしながら、いつでも、自分自身で歩くことを忘れてはいけないな~。
そして、私が母親の役割に固執しなければ、ChaiとDenも子どもの役割から解放されることになるんだね。
そして、おばあちゃんの温かいおもてなしに、
3人は心の繕いをしてもらったのでした。
そして、旅のカンは、大事にすればするほど冴えてくるのでした。