サグラダ・ファミリア探検隊
サグラダ・ファミリアへ行こう!
私たちは、60日間のカミーノ(サンティアゴ巡礼の旅)を終えてから、長距離バスで17時間かけてバルセロナの街へやってきました。せっかくスペインに来たのなら、サグラダ・ファミリア大聖堂を観ておきたいと思いました。三人はバスステーションのコインロッカーにバックパックを預け、街へと繰り出しました。
サグラダ・ファミリア大聖堂って今までの教会とぜんぜん違うのだってね。楽しみ~! バックパックがないと楽だね~!
わくわくしながら歩くと、バスステーションから15分、サグラダ・ファミリアの一端が見えてきました。
たくさんの人が並んでいるところが見えました。そこがサグラダ・ファミリアの入場チケット売り場でした。
みんなが並び待ちしている側で、ギターを弾いているおじさんの演奏がナイス!でした。
入場料は2010年当時
Kumi3 → 12ユーロ
Chai → 10ユーロ
Den → 無料 !でした。
(現在は3倍ほどになっているようです。)
サグラダ・ファミリアってどうなってるの?
サグラダ・ファミリアは見上げるほどにそびえ立ち、巨大かつ超がつくほど独創的でした。
わあ!これが大聖堂?不思議な形ね‼
サグラダ・ファミリアの設計は独自の構造力学的の合理性と、物語性に満ちた装飾の二つの側面により成り立っていました。
構造的に安全な設計とは、紐に錘を下げてできる曲線をモデル化したものでした。それを基礎ベースとしてサグラダ・ファミリアの設計に応用したのでした。この逆さ吊り模型のことを、フニクラ(Funikura)と言いました。
見ててね。ねじるよ!
わあ!
赤い紐がねじれると、美しい形が現れました。
これはサグラダ・ファミリアの完成図です。
これは、反対側から観た完成イラストでした。
サグラダ・ファミリア誰が作ったの?
サグラダ・ファミリアの建設を始めたのは、1882年3月19日に最初の石を置いたフランシスコ・ビリャールという建築家でした。しかし、工法と予算の問題で手を引くことになりました。
それから、当時31歳の才能あふれる建築家、アントニ・ガウディが1883年11月3日から受け持つことになりました。
その日から彼の亡くなる日、1926年6月10日まで43年間、このサグラダ・ファミリアの建築に生涯を捧げるのでした。
アントニオ・ガウディ
ガウディは子どもの頃、リウマチがあったため、外を走り回って遊ぶことが出来ませんでした。自然や動物、植物が好きで、銅板加工職人だった父親、祖父の仕事を見て育ちました。そんな背景から物造りに惹かれ、建築家になることを決意しました。
若き建築家ガウディの才能を見出した資産家のグエル氏は、彼を経済面で引き立ててくれました。ガウディは、スペイン各地に素晴らしい建築物を生み出していきました。
それらは、アントニオ・ガウディ作品群で見ることが出来ます。
ガウディは、60代になった時、家族や親しい友人がたて続けに亡くしました。すっかり気落ちし、以降サグラダ・ファミリア大聖堂を作り上げることのみに没頭していくのでした。
ガウディは写真や取材を拒み、服装も食事も全く気にしなくなり、ひたすらサグラダ・ファミリアの建築に打ち込むのでした。詳しくはガウディの生涯 で見ることが出来ます。
ガウディはさ、最後はバスにひかれて亡くなったのだよね。 そう、バルセロナの市電にはねられたのだって。でもその時、あまりにも身なりが貧しかったため、身元が分からず病院への搬送が遅れたのだって。 それがガウディとわかった時、彼の死を悲しむ人の人だかりが、病院を取り囲んだのだって。バルセロナ市民に愛されていたのね。
ガウディの遺骸はローマ法王庁の許可のもと、サグラダ・ファミリアの地下に眠ることになりました。
ガウディが亡くなってからも、その建築は様々な人の手に渡りながら続いていくのでした。その中には、日本人の彫刻家、外尾悦郎氏の姿も見られました。
わあ~!日本人もサグラダ・ファミリアを作っているのだね、嬉しいな~‼
サグラダ・ファミリアの飛び出す絵本
私たちはカミーノ(サンティアゴ巡礼)が終わり、バックパックが重いと歩くのが辛くなるという
”縛り”が解けたのでした。
それで、ガウディの飛び出す絵本を買ってしまいました。(重いのは変わりないけれど…。)
1冊 39ユーロでした。
飛び出す絵本は、ページを開く度に
わあぁ~!
と歓声を上げてしまうのでした。
サグラダ・ファミリアの三つの門
サグラダ・ファミリアは、東門、西門、南門といった三つの門がありました。
それは順に、イエス・キリストの人生の物語りとなっていました。
東門・生誕のファザード
太陽が昇る東側に『生誕のファザード(門)』が配置されていました。
このファザードが、観光者たちの入り口になっていました。
ドーンと構える『生誕のファザード』は、イエス降誕のシーンから始まりイエスの子供時代の場面が語られていました。
ドアは3つに分割されており、左から希望、慈愛、信仰という意味を持っていました。
このこぼれ落ちそうなほどの装飾は、日本人の彫刻家、外尾悦郎氏が手掛けたものでした。
彫刻が物語になってるんだね!
キリスト降誕のシーン。
左はイエス、マリア、ヨセフがエジプトへ逃れるところ。
中央は傷ついた鳩を手に、養父のヨセフに何か訴えかける幼いイエス。
右はローマ兵の嬰児虐殺のシーン。
ここにあるのは、ほんの一端で『生誕のファザード』は、イエスの生誕から成長にかけてのストーリーが、こと細かに刻まれていました。
ガウディは、聖書の字が読めない人でも、イエスの物語がわかるようにと装飾で示したのでした。
キリスト教の歴史を調べてから来たら、もっと理解できて深く楽しめたわね~。
南門・栄光のファザード
イエスの生前の生涯を示すのが、南側の『栄光のファザード』でした。
これは、一番最後に建造される予定です。
西門・受難のファザード
これはイエスが没するという意味から、陽が沈む西側に作られていました。
余計な装飾を排除したデザインは、スペインのカタルーニャ出身の彫刻家スビラックスのものでした。
イエスの「死」を意味しているこの『受難のファサード』は、冷たい石肌を見せることでイエスの苦しみや悲しみを表現しているのでした。
扉の凸凹には、イエス最後の2日間の福音書の文字が、ぎっしりと彫りこまれているのでした。
サグラダファミリアの18本の塔(鐘楼)
サグラダ・ファミリアの完成形は、全部で18本の塔があるのね。
18本の塔には、それぞれが示す人物がありました。絵本のサグラダ・ファミリアに①から⑱まで番号をふってみました。
最後の晩餐の絵で説明してみます。
一番高い塔が、①のイエスの塔で150メートルあります。
⑫バルトロマイ ⑯パウロ ⑱アンデレ
イエスを裏切った⊛ユダは→⑩バルナバとなっています。
⑰ペトロ ⑪小ヤコブ ⑬トマス
⑮大ヤコブ
カミーノで見たモニュメントは、⑮の大ヤコブのものでした。
⑭フィリポ ⑦マタイ ⑧ユダ ⑨シモン
サグラダ・ファミリアで、二番目に高いのは②のマリアの塔です。
③から④はイエスの福音書記者でした。それぞれの聖人の書に意味がありました。
③聖ルカ(牡牛:十字架における犠牲)
④聖マルコ(獅子:イエスの復活)
⑤聖ヨハネ(鷲:イエスの昇天)
⑥聖マタイ(天使:人間としてのイエスの誕生)
サグラダ・ファミリアは2010年当時、建築の真っ盛りでした。
サグラダ・ファミリアの周り
ガウディの装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間などをリアルに表現されていました。
これ、カメじゃない⁉
うひゃ!ヘビが付いてる‼
窓は四角いものは見当たらず、蜂の巣のような、蓮の切り口のような、その独特のデザインは、有機的な温かいイメージがありました。
着工から100年以上経過しているサグラダ・ファミリアは、まだ建築中とはいえ、部分的に既に風格が出ているところもありました。
見上げた塔は、ベネチアングラスで装飾されていました。
こんなにカラフルな教会は初めて~!
三人は『生誕のファザード』から中に入りました。
サグラダ・ファミリアの中は神秘の森
聖堂内に入ると、今まで見てきた教会の中と全く違っていました。
なんだか森の中みたいだね~。
そして教会内でも、クレーンを使った建築作業は続いていました。
天井のギザギザは、ヤシの木なんだね!
サグラダ・ファミリア内を歩くと、天井高いヤシの木の葉の装飾の下は、自然の中にいるような爽快感がありました。
ヤシの木(シュロ)は、戦いに勝った時、その葉を持ち歩くというものでした。イエスが死に対して勝った証しを示しているのでした。それは殉教者のトレードマークとなっていました。
「神秘の森」と呼ばれるこの場所は、森の中にいるように日の光が降り注ぎました。これは高い天井に埋め込まれているガウディが考案した採光デザインのためでした。ガウディは、建物の中の光の入り方にこだわっていました。
聖堂の中にも物語性がありました。太陽が昇る東側のステンドグラスを青、太陽が沈む西側のステンドグラスを赤にして、聖堂内部の床や柱を照らし神秘的な空間を造り上げていました。
ガウディは生前、聖堂は信者が神との一体感を得られるような場所にしたいと考えていたのでした。
この窓は、ステンドグラスの装飾待ちでした。
鮮やかな色彩が入った窓。
それらの窓は、外側から見るとこんな感じでした。
サグラダ・ファミリアに登ってみよう!
上に昇るエレベーターに、一時間ほど並びました。
昇ると小さなバルコニーがありました。さりげなく隅々まで、デザインが施されていました。
切り込んだ三角やひし形の装飾が、足元のまでデザインされている!なんて素敵!
バルコニーから外を観ました。
わあ!大きくて面白い形!!
石の柱の間から、左右にのぞいてみました。
弾丸の先のような建物は水道局、アグバル・タワーでした。建物の向こうにバルセロナの海が見えました。
フルーツの塔
ガウディの言葉にありました。
「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」
ガウディは、自然の中に最高の形があると信じていました。その背景には、幼い頃バルセロナ郊外の村で過ごし、道端の草花や小さな生き物たちと触れ合った体験が生かされているのでした。
色とりどりのフルーツの彫刻塔が、間近に見られました。
ベネチアングラスで装飾されたこれらの彫刻は、日が昇る東側が(生誕の門側)が春のフルーツ、日の沈む西側(受難の門側)が秋のフルーツなのだそうです。
イチゴ!
ん?小麦かな??
アーモンド! ガウディはアーモンドが好きだったんだって。
屋根の上に載せられた果実や作物は、豊穣と知恵のシンボルでした。それらは12の聖霊の暗示していました。それぞれ愛、喜び、平和、忍耐、寛容、親切、誠実、善意、柔和、信仰、 節制、純潔を意味しているのだそうです。
これらもまた、日本人の彫刻家・外尾氏が手がけた作品でした。
サグラダ・ファミリア上からのぐるり
サグラダ・ファミリアのバルコニーから横を見ると、壁面の彫刻が間近に見えました。
別のバルコニーの手すりには、イエスの像が腰を掛け街を見下ろしていました。こういった造りが気持ちをとても楽しくさせました。
私たちは大きく深呼吸をして、バルセロナの街をぐるりと見渡しました。
カミーノはあの山の向こうだよね。3日前は「道」を歩いていたなんてね…。
反対側の海の見える側から、バルセロナの街を見渡しました。
私たちは今、荘厳で威厳がありながら、自由な発想で埋め尽くされているサグラダ・ファミリア大聖堂の中にいるのでした。
ここは、昔ながらの教会の形や、建築に掛かる予算や時間…。
そんなことよりも
天才的な創造力を強烈な想いで、本当に形にしてしまうガウディ。
そんなサグラダ・ファミリアに、いま正にいるということ。
そしてカミーノを無事に歩き終えたこと。
それらが心の中で交差し
三人は感動で胸がいっぱい!でした。
バルセロナの街を見下ろしながら、Denがポツリとこんなことを口にしました。
ママ、よくこの旅を決心したね。
イエ~イ!
そうだよママ。
よく、旅を決心したねぇ~!
地上のバスの人々が、そんな事を言ってるようでした。
そう思ってくれるの?ヨカッタ…。
何か、ずっと背負っていた見えない肩の荷が下りた気がしました。
Denは10歳、小5の新学期に一日だけ学校へ行っただけで、本当に訳も分からずスペインのサンティアゴ巡礼の旅に来てしまったのでした。Chaiとママが行くカミーノのお供として…。
左下を見下ろすと、波打った屋根の建物が見えました。それもまた、ガウディが設計し造ったものでした。それはサグラダ・ファミリアの建設に参加した労働者の子どもたちを、預かり教育することを目的とした建物でした。
そこにもやはり、ガウディの創造性が活かされた素敵なデザインがありました。
学校もあんな自由な形でいいんだね。あそこで勉強したら授業も楽しそう~!
階段はアンモナイト
サグラダ・ファミリアの塔から、階段で降りることにしました。
階段の壁面の三角窓。ガラスは張ってありませんでした。
らせんの階段を降り始めました。
この階段、アンモナイトみたいだね。
そう!アンモナイトがモチーフになってるのね。ガウディは、自然の中に美しい形があるって言っていたからね。
ママ、はやく~!
ChaiとDenは、この目の回りそうならせん階段を、弾むようにぴょんとこぴょんとこ駆け下りていきました。
再び、サグラダ・ファミリアの外側に出ました。
西門、『受難のファザード』の壁を見上げました。
その壁に、このような数字の魔方陣がありました。
あっ!縦横どれを足しても33になるよ!
ねえ、赤い所を足しても33になるよ!
ええっ!何でそうなるのだろう…。
う~ん、世の中は、まだまだ知らない不思議なことがいっぱい!!
サグラダ・ファミリアはガウディ没後100年にあたる2026年に完成予定だそうです。