53/60サンティアゴ大聖堂ゴール翌日に無念の涙、不思議な巡礼本
6/7(月)→ネグレイラ 朝の事件 21.4km/€28 民間宿スーパー近く便利@€8×2
昨日の夜、日本人巡礼仲間ピノのベッドに、お醤油のおにぎりを差し入れしてきました。
目が覚めると
あ!枕元にピノからの手紙と、本があるよ!
「巡礼を終えると新しい自分に生まれ変わるそうっす‼」と書いてありました。
そしてその本は…、 この本、ママがパリ空港のトイレに置き忘れた本と同じじゃない?
まさしくそれは、サンティアゴ巡礼ガイドブック、初日にパリ空港で失くしたものと同じ本でした。
あら、ほんとだ!ガイドブックを失くしてガッカリして歩き出したけれど、大聖堂にゴールしたところで、戻ってくるなんてね。嬉しい事件ね!!
私たちも朝ごはんに、お醤油おにぎりを食べました。
巡礼ガイドブックの不思議・巡礼第二部へ
これがパリの空港に置き忘れてしまった巡礼のガイドブックでした。
『聖地サンティアゴ巡礼』(日本カミーノサンティアゴ友の会)
私たちの巡礼は、仕方なくガイドブック無しで歩き始め、頼みのケータイも2日目に使うのを止めることになってしまいました。
スペインに来る直前にガラケーからスマートフォンに変えたので、操作分からず、誤操作が怖くなり使えなくなったというのが実際でした。(母は機械に弱いのでした。)
私たちは、どういう訳か中世の時代の巡礼者と同じように矢印と勘だけを頼りに歩くことになりました。
情報もSNSも見れず送れず、宿の予約も全く無しで歩く他ありませんでした。
アクシデントでそうなったのですが、
かえってお互いの会話が増え、矢印や、看板を見逃さないように、3人で協力しながら感覚を最大限に開きながら歩きました。
そんなカミーノ生活を、まるで補足するかのように、
道の途中で偶然にもガイドブックの著者に出会いました。
そして、生でいろいろなアドバイスをもらいました。
ゴールのサンティアゴ大聖堂に着き、
巡礼がいったん終わった今
同じガイドブックが、巡り巡って手の中に戻って来たのでした。
不思議な本だわ。なんだか、カミーノに私たちの歩き方を操られたみたい…。
ここから先の大西洋までの100㎞は、歩く人が極端に減っていきます。黄色い矢印や、石の道標も少なく、道が整備されていないところもあると聞きました。
サンティアゴ大聖堂までの800㎞が巡礼の第一部としたら、フィステラの大西洋までの100㎞はおまけの第二部でした。
この情報の少ない第二部こそ、ガイドブックが欲しかったのでした。
財布盗難未遂事件
その朝、もうひとつ事件がありました。
嬉しくない事件…。
ベッドの枕元に1人ひとつ、木の戸棚がありました。鍵はありませんでした。
そこにバックパックを入れ、その上に水色のショルダーバックを載せ、戸を閉めました。
貴重品は、いつもウエストバックに入れて寝袋の中でも腰に巻いていました。
朝、起きて木の扉を開けた時、ギョッ!としました。 あれ?なんで???
財布は、ヒモでショルダーバックに結んであったので、持っていくことができなかったのでしょう。
そして、もし財布は盗られたとしても、中は小銭とレシートしか入れていませんでした。
以前、レオンのスーパーマーケットで出会った日本人S木さんに貴重品の持ち方を教わっていたのでした。
S木さんはマドリードで首絞め強盗に遭った経験を持つ、スペイン旅行3回目の達人でした。
S木さん直伝のスペインでのお金の持ち方
①財布には基本、お金を入れない。というか使わないように。財布は取ってくれと言っているようなものだから。
②お金は10ユーロづつ分散し、ポケットに入れて持つこと。
③ちょっと大きなお札100ユーロなどは、靴下の中か靴の中に入れておくこと。
④直ぐに使わない旅の資金、キャッシュカード、クレジットカード、パスポートはなどは、服の下でお腹に巻くタイプのウエストバックに入れておくこと。
など、細かく具体的にレクチャーしてくれたのでした。
S木さんがチェックをしてくれた時、私の財布には、お札が280ユーロとクレジットカードが入れてありました。
それを見たS木さんは、間髪を入れずレッドカードを出しました。
「あ、ダメですね!」と。
その時点で、財布から現金ユーロ札とカードを抜き取り、お腹のウエストバックに入れるようにしました。
そして教えの通り、少額紙幣を分散して持つ方式にしていたのでした。
あ~、S木さんの教えを守っていて、ホントによかった〜!
怖〜い!サンチャゴは人が多いし物価も高いよね。変な人が日本語で話しかけてきたし。そんなこと…、この巡礼で初めてだよ!観光地の賑わいは疲れちゃう、早く行こうよ。
バルやお土産屋さん、屋台、大道芸などのパフォーマンスが観られる、魅力ある街でした。
歩いていて、今までの巡礼路では経験したことのないエキサイティングな面白さ、華やかさがあると同時に、肩掛けバックをギュッと握りしめて持つ緊張感がありました。
パンプローナ、ログローニョ、ブルゴス、レオンも素晴らしい大きな街でしたが、サンティアゴの街の賑やかさとは桁が違いました。
~・~サンティアゴの街の賑わい~・~
カミーノで泊まった町のほとんどは、のどかな雰囲気でした。街の喧騒がら逃れたいとChaiが思うのは、もっともでした。
ここからおよそ100kmがフィステラ、大西洋に面した海辺の街でした。5日も歩けば着くのでした。
ピノの見送り
さて、出発です。
Denはいつもの靴をはきました。
いざ行こうとすると、ピノが見送りに玄関へやって来て言いました。
「もう一日、この街を探索して、明日フィステラに向かう予定なんすよ。」と言いました。
すると ピノと歩きたい、もう一日 ここに居たい!
私は、静かな巡礼の道に戻りたい。早く大西洋の海が見たい!
あら~、困ったわ…。
しかしDenは、頑なに
ピノと歩くの!
フィステラの街で会うことにしようか。
公営のアルベルゲで会えるから、ね。
子どもがなつく人、嗅覚?第六感?
さらに 巡礼後に、ホセの居るメノルカ島へ一緒に行ってみる?
「おお、イイすね!」と快諾するピノでした。
ようやくDenは納得し、ピノとお別れしました。
やれやれ、よかった…。
私は、今までにもDenがなつく人は必ずイイ人だということを、経験上知っていました。 何だろう。嗅覚なのかしら。子どもの持つ第六感なのかしら?
ピノは、髪は肩まで伸びてボサボサ、服もボロボロ、真っ黒に日に焼け、痩せて目がギョロギョロしていました。
その日は、目やにまでついていて、ホームレスまんまの風貌でした。
いかにもお金がない、といった感じでした。
「よく、いろんな国で職務質問されるんすよ〜。」とピノはボヤいていました。
そりゃそうだと思うよ〜。しかし、それは
世界一周の旅で身に付けた、安全に旅するための技なのね!
何かで読んだけれど、日本人はスリに狙われやすいって。警戒心も薄いし、お財布やカードにお金がたくさん入っているからイイカモだって…。
ピノはお金持って無さそうな日本人?
それどころか、いったいどこの国の人?といった感じでした。
Denは、ピノとリバイソダバイショで1泊一緒に過ごし、口琴やディジュリドゥの吹き方を教えてもらったのでした。
その後、ずっとピノ、ピノと言い続けていたのでした。
出遅れた出発
やっと、出発しました。
またカミーノに戻れるね!
石畳の古い町並みを歩きました。
サンティアゴの街は、毎日がカーニバルのような飾りつけがありました。
田舎道の教会にあった巨大コウノトリの巣は、さすがにこの都会の教会では見られませんでした。
建物の屋根の造形が素晴らしいのでした。
さようなら、サンティアゴ大聖堂!うちら大西洋を見てくるね。
毎日、広場は清掃され、整備されているんだね。
パラドールの前を通りました。
一泊2万5千円!いつか泊まってみたいね~。
神学校アルベルゲの人が教えてくれました。ここに朝並び、巡礼証明書を見せると、先着10名様に限り、朝食を無料で振る舞ってくれるというのでした。
しかし、どこをどう並ぶのかよくわからず、少し回りをウロウロしてから、通り過ぎました。
市庁舎の前を通りました。
時間は8時半を過ぎていました。出発であれこれしたこともあり、かなり出遅れていました。
ねえ、遅いよ〜。
20km以上歩くのであれば、午前中に距離を稼いでしまうことが、身体が楽でアルベルゲも確保しやすいのでした。
特にサリアから西は、3人ともそのことはよくわかっていたので、ここ最近は朝7時前には出発していました。
公園の寄り道
広場を後にしました。朝日が背中から射しました。
壁の落書き、カッコイイ~!
道が未舗装路になってきました。
サンティアゴ市街地から、田舎道に変わってきたあたりに公園がありました。
わあ、シーソーに乗りたい!
まあ、Denの楽しみと言ったらこれぐらいだしね、まあ、いいか。5分のことだし…。
すると、少しでも早く行きたいChaiは、こちらをきつくニラんでいました。
ええっ!遊ぶの?こんなに出遅れているのに?
まあ、5分ぐらいだから。いいじゃない。
Denは、シーソーの揺れにお腹と声が揺さぶられ、ゲラゲラと笑ってしまいました。
Chaiちゃん、これ日本にないよ。ちょっと面白いよ〜!
置いてきぼりで怒りで爆発!
Denが満足したところで、遊びを切り上げました。ふと見ると、Chaiがいませんでした。
あれれ、先に行っちゃたのかな⁇
Denと私は、慌ててバックパックを背負い出発しました。
追いつかないね…、あれれ?と思いつつ
大声で呼びました。
Chai〜!Chai〜!
Chaiちゃ〜ん!
すると、後ろから声が聞こえました。
振り返ると
なんで先に行っちゃうのっ⁉︎
あ~、そこにいたのね!姿が見えなかったから、しびれを切らして、先に行ってしまったのかと思ったの。ごめんね~。
もう~っ!ずっと木の下にいたのにっ!
私は、うっそうとした木の陰にいたChaiを、見落としてしまったのでした。知らぬ間に置いてきぼりにされたChaiは怒り心頭でした。
それから、Chaiはプンッ!と一言も口をきかなくなり、私とDenを無視し、どんどん先へ歩いて行ってしまいました。
まるで、速度をあげた競歩の選手のようにザッザッ!と怒った勢いで歩いて行きました。
距離はどんどん広がっていきました。
途中、水分補給をしようと声を掛けました。 Chai〜、休憩しようよ〜!
返事はなく、私の声は曇り空に虚しく響いただけでした。
仕方なく、休まず歩き続けました。
サンティアゴ大聖堂のシルエットが見えました。
あ~ん、サンティアゴ大聖堂をバックに、3人で写真を撮りたかったわ…。
もう一度振り返り、カメラを向けました。
カミーノで腹痛と足痛
道の途中 お腹が痛い〜!
それは大変!「大丈夫?」
と道端に座らせました。
近くにChaiの気配は、感じられませんでした。
Cha〜i!Denが腹痛〜っ!
大声で叫びましたが、返事は返ってきませんでした。
さらに私も、右足の小指のマメが痛みました。
いつもの歩行リズムでは歩けなくなってきました。
まずい、このままでは腰を痛めてしまうわ…。
私たちの歩く速度が遅くなっていました。状況を何も知らないChaiは、どんどん歩みを進め、ますます距離が開いてしまうのでした。
第二部は人の少ない寂しい道
サリアからサンティアゴに向かう第一部の道100kmは、とても人の多い賑やかな道でした。
しかし、サンティアゴからフィステラに向かう100km、いわば第二部の道は、歩く人の数が少ない寂しい道になっていました。矢印も少なく、第一部の道ほど整備されていませんでした。
うっそうとした草木の繁った田舎道で
私とDenは、何度もChaiの名前を呼びました。
Chai〜!一緒に休もうヨ~。 Chaiちゃ〜ん!どこ~。
もうっ!いったいどこまで行っちゃったの?Denも私もこんなに弱っているのに…。おちおち休むこともできないじゃない…。
また、今日は道のアップダウンがきつく
おまけに、サンティアゴでお土産を買った分だけ、私のバックパックはいつも以上に重くなっていました。
もしはぐれたら?不安でいっぱい
道端に誰かが置いていったトレーナーがありました。
「良かったら誰か使ってください!」というような置き方でした。
昨日おとといは、暑さが厳しい日でした。
今日は肌寒く、このトレーナーは何日か前から、ここに置き去りになっている感じがしました。
そして、道は寂しさを増してきました。
Chaiのパスポート、お金、海外旅行保険カードなど全部一式、私が預かり持っているのでした。
私たち、はぐれたらどうなるのだろう?道に迷ったりしたら?もしChaiの身に何かあったら…。あわわわ…、どうしよう⁈
怒った気持ちは、だんだん
怖れる気持ちに変わってきました。
さっきの公園の寄り道で、一番早く道を行きたい人が、逆に置いてきぼりにされ、怒り心頭になったのはわかるけど….。
私とDenを置き去りにしてまで早く歩くなんて…?
怒りで我を忘れたのかしら…?
海外ではぐれたら、それがどんなに危険なことか…。
「お母さんの心配わかるワン、若い女の子だものネ。」と心配顔でこちらを見ていました。
感動の涙の翌日は、無念の涙
橋を渡りました。
ほんとにもう、どこまで行っちゃったのよ~!
へこたれた時やピンチの時、たくさんの巡礼仲間や町の人々に幾度となく助けられました。そこで
相手を思いやる気持ちをたくさん貰いました。
そして、それがどんなに素晴らしいかを
身に沁みて感じたのがカミーノでした。
それなのに…、怒り過ぎて判断できなくなってしまったの?
言いようのない無念さが押し寄せてきました。
ずっと積み重ねてきたと思ったら、いっきに崩れるような…。
さらに、悲しい雨が降ってきました。雨カッパを着て、フードをかぶりました。顔に当たる雨が頬を垂れていきました。
自然と涙も垂れてきました。
「あらまあ…、お母さん、大丈夫?…。」家の犬にそっくりの犬が、こっちを見ていました。
昨日は、巡礼証明書を手にしミサで涙しました。
今日は、心が通わず不安と心配で涙がこぼれました。
ああ、これも子どもと私のカミーノ なのね…。
遅れれは遅れるほどChaiと距離が開いてしまうのでした。
せっかく憧れの巡礼の道に、戻ったというのに…。
川の流れは、何事もなくザーザーと流れていきました。
ピンクの雨カッパ発見
家が少しづつ増えてきました。ネグレイラの町の入り口に着きました。
朝8時半に出発し、今は4時でした。出発してから7時間半経っていました。
およそ22㎞を歩きました。
あ!あのピンク色、Chaiちゃんのカッパじゃない?
むこうに見える学校らしき建物の隅に、濃いピンクの影がちょこんと座っているのが見えました。
近付くと、Chaiでした。
たぶん雨の中、そこに1時間以上、ずぶ濡れで座りながら待っていたのでしょう。
まったく…。
すごく心配したのよ!怪我や事故や、迷子や、こんな寂しい道で人さらいにあったらどうしようって。パスポートも持ってないでしょう。途中、Denはお腹が痛くなるし、ママも足のマメが痛くて…。それでも、Chaiと離れてしまうからって、なるべく休まないで歩いて来たんだよ!
ごめんなさい…。
私たちは、再び3人で歩き出しました。
ネグレイラ民間アルベルゲは便利
公営のアルベルゲは、もう既に満員で入れませんでした。
少し先の民間のアルベルゲは、一泊8ユーロで高めでしたが(当時:公営5ユーロ)
けれど「Denの分は無料でいいよ。」と言ってくれたので、入ることにしました。
そこはスーパーマーケットが近く、案外と便利なところでした。
雨の中、がんばって歩いたご褒美、そして仲直りの夕食にしたいと思いました。
今日の夕食は、好きなもの買って食べようか~!
食べてみたかった長いパウンドケーキ、サクランボ、洋ナシ、トマト、オリーブ、チョコレート、タコの缶詰、チーズ、ヨーグルト、好きなものが山盛り!
チェリーが旬でとても美味しかったのでした。そして赤ワイン1ℓが0.41ユーロでした。日本円で54円ぐらいでした。
うひゃ~、ワイン1ℓ、こんなに飲めないけれど、本当に水より安いわ!買っちゃおう!
思いもよらず肩もみ足もみ
雨の日は、外に洗濯物を干せず、たいてい二段ベッドのパイプに干しました。
結局、私たちの着替えは室内用と外歩き用の二組しかなくなっていました。
重さがつらいので、最低限の着換えになるまで、途中のアルベルゲに置いてきたのでした。
明日は、湿っているこのシャツを揉みしだき、手で少し温め、気持ち乾かしてから着ていくしかないのでした。
もう、そんな雨の翌日の仕業は慣れたことでした。
石鹸でよく洗ったのだけれど….。洗濯物が臭くなりませんように。
まだ外が明るい9時ですが、ベッドに横になることにしました。今日は、バックパックが重く、足が痛み、途中から降った雨の中をおよそ20㎞以上歩いたので、とても疲れていました。
すると、トイレに行っていたChaiが戻って来ました。
そして…
お母さ〜ん、肩をお揉みします。
すると、今度はDenが お母さ〜ん、足をお揉みします。
私の足を揉み始めました。
うふふ、ありがとう!
巡礼証明書をもらったからって…
巡礼証明書をもらったからって、急に聖人君子になる訳じゃないのよね。気持ちのアップダウンだって、変わらずあるものよね。
けれど、行き違いがあったり、心に穴を空けてしまってもこうして上手に関係性を繕えるChaiに驚き、嬉しくなりました。
この肩揉みと足揉みは、身体が楽になっていくだけで無く、道の途中で無念に思った気持をほぐし、心地よくしてくれました。
以前の、怒って翌日までしゃべらないChaiを思い出しました。
うわぁ!なんて嬉しい。ありがとう!カミーノで、確実に心に何かが実っているのだわ!!
安堵した気持ちで、眠ることができました。