60/60ムシア巡礼証明書で完結、カミーノは永遠に覚えていてくれる


6/14(月)ムシア観光日 0㎞/€59 おばあちゃん頻出宿 €35
目が覚めたら8:45でした。アルベルゲは誰もいませんでした。
あ~、まだ眠いわ〜、いくらでも寝れそう。
起きて~!
と声を掛けるものの、まだ寝ていたい気持ち満載でした。
9時半にオスピタレロが
「ここは10時に閉まるよ~。」と言いに来ました。
ええっ!
慌てて二人を起こしました。
ワラワラと着換え荷支度をし、キッチンへ行きました。
なんとかお茶を入れて飲むことが出来ました。
10時、オスピタレロに急かされ玄関へ向かいました。
バックパックを背負い、外へ出ました。
今日は、ムシアの町を探索する予定でした。
カミーノを歩き始めたフランスの町、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから、スペインの巡礼最果ての地、ムシアに居るということは、60日間を歩いた結果でした。
そして今日一日、ムシアの町を見て過ごすことも、巡礼に含まれているのでした。
今までも大きな街、パンプローナ、ブルゴス、レオン、サンティアゴ・デ・コンポステラでは、歩いた翌日に観光日を設け、教会と街の風景を散策してきました。
私たちは明日の朝、バスでサンティアゴ・デ・コンポステラへ戻り、そこからバルセロナへ行く予定でした。
いま玄関を出た公営のアルベルゲは、一泊しかできない決まりでした。
まずは、ムシアの町散策の前に、今日のベッドを見つけないといけないのでした。
「おや?見慣れない顔だワンッワンッ!」
町なかの犬は、つながれていることもあるんだね。
スーパーマーケットで宿情報を得る
スペインで、お馴染みのエロスキ・スーパーマーケットを発見しました。
水と果物を買いました。
さて、どうやって宿を探そうか…。
レジでお店の人に「この近くに、泊まるところがありますか?」と聞いてみました。
するとお店の人は「ちょっと待ってね。」と言い、電話をかけ調べてくれました。
それから買い物を終え、お店から出ていくおじさんに声を掛け、何かしら説明をしてくれました。そして…。
「あの人について行きなさい。」と言いました。
ムーチョ・グラシアス!
私たちは、おじさんの後を付いて行きました。
エロスキから3分ほど歩き、3階建てのこじんまりとしたペンションの前で、おじさんは足を止めました。
「これだよ。」と、あごを上げて示してくれました。
それからおじさんは、手を振ると行ってしまいました。
ムーチョ・グラシアス!
ペンションは1、2階に泊まる部屋がありました。3階におばあちゃんが住んでいて、一人でペンションを切り盛りしていました。
おばあちゃんは、部屋を案内してくれました。セミダブルベッドがひとつある部屋が一泊・35ユーロでした。
トイレとシャワーは共同で狭い部屋でしたが、清潔でいい感じでした。
私たちは、アルベルゲ暮らしだったので、個室というだけでも大感激でした。
さらに、キッチンが使えるということもナイスでした。
わーいわーい!二段ベッドじゃな~い!個室だ~い!
早速、ペンションにバックパックを置いて、出掛けることにしました。
ムシアの港町で日向ぼっこ
バナナと水を持ち、ムシアの海へ向かい歩き出しました。
通りのパン屋さんで、まだホカホカと温かいエンパナーダ(惣菜パン)を買いました。
港が見渡せる場所がありました。
そこにちょうど良い、木のボードベンチを見つけました。
このベンチは、ごろごろと日向ぼっこをするのに丁度よいのでした。
私のお腹は、まだ調子悪くグワグワした感じでした。
座って休むのに最高ね!
日当たりが良く、見晴らしも広がっていて、とても心地よい風が吹きました。
エンパナーダ、温かいうちに食べようよ!
オッケ~!
あ!飛行機雲!!
あれっ、Vサインじゃない~?
アハハ、雲が送ってくれたのよ、きっと~!
あ~、カミーノのが終わったぁ~!長かったけど、短かったナ~。
このベンチはあまりに気持ちよく、昨日の疲れもある私たちは、背中とベンチが磁石のようにくっついて、離れなくなってしまいました。
そこに、2時間ぐらい転げていました。
それから、海沿いにしばらく歩きました。
ムシアの港に立つと風が強く、歩きながら少し疲れるほどでした。
港で写真を撮りました。
堤防の果てに岩場がありました。
砂浜はなく、裸足で波打ち際を歩くことは出来ませんでした。
巡礼終わりのケーキパーティー
ペンションに戻ることにしました。
道すがら再び、スーパーマーケットに寄りました。そこでスポンジケーキの台が売っていました。
カミーノ終わりの、お祝いケーキを作ろうよ!
いいね、やった~!
必要な材料を買い、ペンションに戻りました。
キッチンに材料を並べました。
スポンジ台、イチゴ、チョコレート、生クリームスプレーでした。
Denはチョコレートを削りました。Chaiはイチゴを切り、生クリームでデコレーションしました。
すると、上の階が住まいである宿のおばあちゃんが、階段から降りてきて柱から顔を半分だけのぞかせていました。
「あの子たち、何を作っているのかしら…?」と、興味津々な様子でした。
私は、挨拶をしようかな…と、そちらに目を向けるとサッ!と引っ込むのでした
再び見ると、サッ!
そんなことを3、4回繰り返していました。なんだか漫画みたいで、ウフフ!と笑ってしまいました。
私は、ケーキの進行具合を見ながら、お茶の準備をしていました。
ようやく、嬉しそうな声が上がりました。
できたあ!
ジャジャ~ン!
カミーノケーキ!!
では、みなさん!カミーノ完歩、巡礼終わりのケーキパーティーを始めま〜す!
うわ~い、ケーキケーキ!でっかく切って!
いっただきまーす!
うまい、うま~い!
大人の打ち上げは、ビールで乾杯ですが、子どもたちの打ち上げとして、盛り上がるのはケーキでした。
買った材料を切って飾っただけの簡単なものですが、自分たちで作ったケーキはイチゴがいっぱいで、カミーノ終わりのパーティーにふさわしいものでした。
ねぇ、カミーノどうだった?
Denが思うのはね、スペインのお菓子は最高!ってことかな!
ママの行くよ!という声に、訳もわからず来たんだけどね。校長先生が「受験生なのに!」って何回も言うから、絶対に全部歩こうと思った。そして、歩けちゃった!カミーノが終わることが本当に寂しいな…。
ママは、ここ数年仕事や資格の勉強で忙しく過ごしてしまってね。ChaiとDenのこと、もっと見てあげられたかもしれない…、と思うことよくあったのね。カミーノでたくさんの時間を一緒に過ごせて、一緒に歩き抜いたこと、すごく嬉しかったナ。そして二人とも頼もしくてびっくりしたよ。すごく楽しかった!昨日は辛かったけどね!
自分たちで自分のことを、最高に褒め讃えながらケーキを食べました。
誕生日やクリスマスは、何をしなくてもその日が来ればやってくる嬉しいお祝い事ですが、今日のケーキは、自分たちで作り上げたお祝い事のケーキでした。
ケーキは大きいので、おばあちゃんに4分の一あげることにしました。
さっき、のぞいていたしね!
お皿に乗せ、階段の下へ行き声を掛けました。
降りて来たおばあちゃんは
「いいのよ、いいのよ、いらないわよ~。」と身振りで断りました。
もう一度お勧めましたが、同じ反応でした。
無理じいをするのもなんなので、
「そうですか。ではでは~。」
とおばあちゃんに背を向け、キッチンへ戻り歩き出しました。
すると、階段を降りる音…。
「やっぱり、ちょうだい!」と追いかけて来ました。
ケーキを受け取ったおばあちゃんは、気を良くして
「お洗濯するわよ!汚れ物を出しなさい!」と言ってくれました。
わあ、嬉し~い!
とても有り難い申し出でした。
普段、手絞りで洗えないものを出しました。
カミーノでラストシエスタ
DenとChaiはお祝いケーキランチを食べたあと、シエスタ(お昼寝)をしました。
私も一緒に眠りたかったのですが、日誌に書くことが溜っていました。書いておかないと忘れてしまうのです。
書き終わると、夕方4時でした。
まだChaiとDenは寝ていました。私も1時間ほど、シエスタに参加しました。 ああ、歩き疲れて眠るカミーノのシエスタは、これが最後なのね…。
ムシアの町散策
明日の朝早くに、サンティアゴの街へバスで向かう予定でした。
さあ、起きて~。バス停の場所を確認しにいこう。
そしてもう一度、明るいうちにムシアの町をもっと散策しようと思いました。
まだまだ、明るいムシアの町を歩き出しました。
早速、Denは公園を見つけました。
わ~い!ブランコ、ブランコ~!
ムシアは港町、大きな錨(いかり)が並べてありました。
ボートも多く停泊していました。
町なかを、ぶらぶらと散歩しました。
砂浜があれば、裸足になって歩きたいのですが、海は堤防に縁どりされていました。
バスの停留所を確認しました。
そのすぐ前に、白いコットンの糸を編んで作る、刺繍レース屋さんがありました。中を見させてもらいました。
わあ、素敵!
お店にいた人と、一緒に写真を撮りました。
巡礼カミーノ最後の夕食
再びスーパーマーケットへ行き、今日の夕ご飯と明日の朝ごはんを見て回りました。
好きなもの選んでね。ディナーは任せて!
エビ、エビ!あとマンゴー!
アボガドとオリーブ、ソーセージもいいなぁ!
エビ、アボガド、トマト、パスタ、ソーセージ、オリーブ、マンゴー、レモンを買いました。全部で13ユーロでお釣りがきました。日本円で約1600円ぐらいでした。
アルベルゲに戻り、キッチンでエビ・アボガドパスタのレモン醤油味を作りました。
おいし~い!
ヨカッタ~!!
そこへ、おばあちゃんが洗濯ものを、全て畳んで渡してくれました。
「わあ、ありがとうございます。おいくらですか?」と値段を聞くと
「いいわよ、要らないわよ!」と言ってくれました。
わあ!ムーチョ・グラシアス!!
ムシア巡礼証明書
私たちは、部屋に落ち着きました。
それから、ムシア巡礼証明書を広げてみました。
オスピタレロに言われた通り、名前のところは自分で書き入れました。
ムシア巡礼証明書には、こんなことが書いてありました。
ムシア巡礼証明書
小舟の聖域を選ぶ巡礼者へ
あなたの長い巡礼は終わります。
あなたは貴重な贈り物を受け取ります。
恩赦と不朽の賞の報酬です。
それらを、信仰に付与いたします。
私たちが手にした
3つの巡礼証明書を並べてみました。
サンティアゴ巡礼証明書 / フィステラ巡礼証明書
証明書をもらうために歩いている訳ではないけれど…、形になると、嬉しいものね!
おばあちゃんの執拗な訪問にへきえき
それからシャワーを浴びました。
ドンドンドンッ!
おばあちゃんがドアを叩きました。
シャワーの浴び方、足拭きマットのことなどを教えてくれました。
ハーイ、わかりました。
おばあちゃんは、バスルームのドアを何回も叩き確認しに来ました。
んん?そんなに来なくても…。
私たちは、部屋へ戻りました。
再びドンドンドンッ!
おばあちゃんは何回もドアを叩き「何かひと言」を言いに来ました。
「スペアベッドを出してね。」「はい。」
「食べ物は持ち込まないでね。」「はい。」
「隣にドイツ人のカップルが来るから静かにね。」「はい。」
「荷物を見せて、食べ物は持ち込んでいないわね?」「はい、食べ物は全部キッチンに置いてあります。」
「スペアベッド出した? 」「寝る前に出します。」
「スペアベッド、もう出した?」「あ、まだです。」
「スペアベッド出した?」「あ、無くても大丈夫です。」
「隣の部屋にドイツ人のカップルが入ったから、騒がないでね。」「はい。」
「隣にドイツ人のカップルがいるから、朝は静かにね。」「はい、静かにします。」
「スペアベッドは出した?」「あ、いらないです。」
「ドイツ人のカップルの邪魔をしないでね。」「はい….。」
ていうか、私たちの邪魔をしないでほしい~!!
もおお!Denたち騒がないってば!
ドンドンドンッ!
あら~、また来たっ!部屋の鍵を閉めて寝る体勢に入ろう。
夜8時半には、ドアの鍵を閉め、引きこもりを決め込みました。
オイルサーディンのように眠る
荷造りを済ませ、ベッドに入りました。
すると、ChaiとDenが左右の足にクリームを塗ってくれました。
二人とも私のやり方を真似して、懸命にマッサージをしてくれているのがわかりました。
そのあと、Chaiが背中を指圧してくれました。背中お腹がとても楽になりました。
窮屈だけど、これでいいね。
私たち3人は、オイルサーディンのイワシの缶詰めように、ベッドに斜めに横たわりました。
おやすみなさ~い!
夜中のトイレでチョコレートを思う
私は、夜中に4、5回トイレに起きました。まだ、お腹の調子がいま一つでした。
部屋に戻る度、寝ているChaiとDenを眺めました。 ああ、そういえば…、2カ月前は、日本に居たのよね。カミーノやスペインのことなど、何も知らなかったのよね…。
しかも、ただスペイン旅行で来て、ここに寝ているのではなく、ChaiとDenの頭と足のなかに、カミーノを930㎞歩いた日々が、履歴として刻み込まれているのでした。
ポンフェラーダで出会った、巡礼仲間のエリカが私たちに言いました。
「チョコが甘いのを知っているというのと
チョコが甘いのを信じるというのは
違うんだよ。
人が体験したものを信じる、という立場で満足しないで
自分で実際に体験して知る、ということは大切でね。
知るということは体験すること。
それはチャレンジすることだよね。
かじってみて、塩辛いチョコレートだってあるかもしれない。
行動して傷ついたり、がっかりする事もある。
けれど沢山の辛い思いや、経験を経たことにより人生の深みが増し、人の気持ちに寄り添うことが、出来るようになるのだよ。」ChaiとDenは、歩きながら聞き耳を立てて聞いていました。私たちは、カミーノというチョコレートを食べてみたのでした。
ひと箱全部、完食でした。
ChaiとDenのお腹の中にとりこまれたカミーノは、この先どう消化されていくのかしら。そして私自身にとってカミーノは、どんな作用が起きていくのかしら…。
エリカは、何度でも言うだろう。
「もしも、失敗したって、無駄にならないよ。
自分で知って確かめることで
人生は深く豊かになるのだよ!」
何かの縁で行ったカミーノ
私は、カミーノから帰ってきて、すぐに仕事に就きました。そして、週末の休みごとに写真の整理を始めました。
日付けごとに選別をし、簡単なコメントを付けていきました。私が撮った写真と、Chaiのカメラで撮った写真の合計は、4千枚ほどありました。
それと、日誌をすり合わせ、メモ書きのお金の出入りを計算しました。それは、とても骨の折れる仕事でした。
やっと編集し終わった頃には、6年の月日が経っていました。
その間、ChaiとDenはカミーノに行ったことを、すっかり忘れてしまったかのようでした。目の前の自分の生活に、精一杯走り回っていました。
ああ、出来た~っ!
私は、パソコンで編集したデーターをカラーコピーに印刷し、ホッチキスで止めました。
パチッ!
カミーノアルバムの完成!でした。
ChaiとDenは
「やっと出来たんだね!おめでとう!!」と言うと、パラパラとめくり、
じゃね!
と忙しく、学校やバイトに出掛けて行きました。
6年前のことだもの。まあ、そんなものよね…。
ところが、意外にも、2010年のあの出発の時、あれだけ誘ってもカミーノに行かなかった長女Raiが(Chaiは2番目。Denは3番目)
どれ、見せて。へえ!カミーノってこんな旅だったんだ。
初めてちゃんと知ったわ!
わぁ~、私も行きたくなった!!
そしてなんとRaiは仕事を辞め、その3か月後一人でバックパックを背負い、カミーノに出発したのでした。
わたしも、途中で4日間ほど、合流しました。
はじめRaiは、10人ぐらいのさまざまな国の人、さまざまな年齢の人と様々な仕事の人と歩いていました。
ある日、オランダ人の巡礼仲間とアルベルゲで一緒になりました。
彼の顔を見た時、初めて会ったのに、全く初めて会った気がしない不思議な感覚を覚えたそうです。
(あとで、彼もそうだった!と言っていました。)
しかし、彼は一日に40㎞ほど歩く速足でした。翌日は、早朝に出発してしまいました。
カミーノは歩く速度は違うと、2度と会えないものでした。ところが、たまたま彼は体調を崩し、20㎞ほど先のアルベルゲで休んでいました。
そこでRaiと彼は再会し、お互いのことを話し、驚いたことに聞いている音楽がほとんど同じでした。
そこからの巡礼は、二人肩を並べ歩き出したそうです。
サンティアゴ・デ・コンポステラに着いた時には、お互いを伴侶とし、人生を歩き出すことに決めたのでした。
私たち、結婚します。
なんと!そんな導きがあったとは!
そして私たちのカミーノも、考えてみれば、何かの縁が起きて、行くことになったのでした。
たまたま、学校に行けないのなら、サンティアゴ巡礼に行ってみようか!という究極のストラテジーでした。
もし、Chaiが何の問題もなく学校へ行けていたのなら、3ヵ月も学校を休んで旅に出る、なんていう選択は起きなかったのでした。
これも、巡り合わせね。カミーノは、Chaiから始まってRaiの未来までも、計算して巡礼に誘導したのかしら?
もちろん、カミーノはスペイン北部の「道」です。
何か言葉を、発する生き物でもありません。
しかし、実際にカミーノを歩いていて、お金を落とした翌日にお金のお布施を貰ったり、願えばオムレツが作れたり、欲しかったコーラや靴がぽっかりと現れたり、失くした本の著者に出会ったり…。
カミーノは、まるで私たちを意思を持って見つめている…。
そう思えてしまうほど、不思議な道でした。
カミーノは当り前のことが有難い!
そんな巡り合わせで行くことになったカミーノは…。
全てが自分次第でした。
誰かに与えられるのではなく
自分で歩き、疲れ、空腹になったから
最高に食べ物がおいしく
自分がクタクタになるまで歩いたから
休めるベッドがあるだけで最高に幸せなのでした。
ある時、アルベルゲで一緒になったドイツから来たおばちゃんグループが、Denに
「あなたぐらいの年令で、カミーノに来れてラッキーね!いろいろな経験が出来たでしょう。あなた、どんな夢や希望を持っているの?」と聞かれました。
私がなんとか訳し、話をつなげました。
「Denは、どんな夢や希望を持っているのか?って。」
するとDenは胸を張り
Denの夢と希望はね、今日は温かいシャワーでありますように、ってことだよ!毎日、そのことを願って歩いてま~す。
プッ!
笑っちゃいけない、ズレてる…。
Denは(私たちも)、いつもシャワーが冷たかったり、びっくりシャワーだったり、途中でお湯が止まったりと、苦労していました。
ドイツのおばちゃんに、Denの言葉を伝えました。
すると爆笑!そして
「私もよ!」という声が上がりました。
普段の日本の生活の中で考えると…、
食べ物に飢えたり、日照りで干からびそうになったり、レバーをひねってもシャワーが水だったり、電気が無かったり…などということは、ほぼ無いのでした。
だからこそ、お腹がすいた時にパンがある、炎天下で水道をみつける、寒い日にアルベルゲに着いて温かいシャワーがある…、
当たり前のことが、なんて有難い!と思うのでした。
そんな日々を、子ども一緒に体験する機会というのは貴重でした。
けれど実際、子連れでカミーノに行くことは、本当に難しいことなのよね。子どもは学校、大人は仕事、そしてまとまったお金も必要。家族の理解も必要…。たまたま、私たちは行く機会に巡り合えたのだけれど…。
カミーノ、まずは楽しんで!
カミーノのアルバムをコピーして、もっとみんなに見せてあげればいいのに!スペインの景色や教会はもちろん素敵だけど、子どもが歩くカミーノって、苦労もいっぱいだけど、やることが面白いじゃない!
アハハ!そうよね。ケンカしたり、道で寝ちゃったり、犬や虫や公園で、すぐ寄り道しちゃうしね!
しかし、カミーノアルバムコピー本は、コンビニのカラーコピーで作っていました。それは50ページもありました。コピーをする労力も費用もバカにならないのでした。
そして、時代はSNSなのでした。
「カミーノ、興味あるのよ。ブログはないの?」と聞かれ
無いです…。
ならば、6年かかったコピーのアルバム、これは乗りかかったカミーノ船ね。SNSは、よくわからないけれど、ブログにチャレンジしてみるわ~!
そうしてブログにしておけば
いつでも、どこでも、誰でも!
カミーノを楽しんでもらえるのでした。
「へえ~、スペインを歩くと、こんなことが
あるんだ!」
「あ~、親子でこういうケンカ、あるある…。」
「10歳でも歩けるんだね。」
「学校に行けなくなったら、これ、ありかも…。」なんてことも…。
知っていれば、いつか巡り合わせが来るかもしれません。
中学校に戻り目線は教室から世界へ
Chaiはカミーノから帰ると、すぐ夏休みに突入し、9月から中学校へ通い出しました。
登校しても教室で頭痛、腰痛は出ませんでした。
学年は中学3年生で高校受験を控えていました。
実際、カミーノは学校の評定には何も役立つことはありませんでした。
ただ、変化があったことと言えば…。
Chaiは、クラスの誰が誰を無視したとか、ケータイ、ラインのアレコレ等が
全く、どうでもよくなってしまいました。
もっと英語を勉強して、いろんな国の人とコミュニケーション取れるようになりたいナ。
目線は、教室から世界に変わりました。
半径10メートルの視野が、半径10,000キロメートルに広がったのでした。
「そんなことを問題にしない人々」とビッグハグ
カミーノを歩く巡礼者の多くは
成績とか、学歴とか…、
医者だとか、失業中だとか…、
日本とか、ドイツ、韓国、スペインとか…、
大人とか、子どもとか…、
男とか、女とか…、
病気だとか、健康だとか…、
肌の色が違うとか…、
金持ちだとか、貧乏だとか…、
たくさんの「そんなことを問題にしない人々」に出会いました。
いろんな国の人が、子ども扱いじゃなくて、一人の巡礼仲間として認めてくれたことが、すごく嬉しかった!
しかし歩いていると、良いものに修正する流れに必ず出会いました。そんな時、やっぱり「そんなことを問題にしない世界」は確かにあるんだ!と心がうれしくなり、凛としました。
きっと巡礼者は、はじめからそうではなかったと思うのです。一日中重い荷物を背負い、自然にさらされながら、何日も、ひたすら歩きました。
すると、余計な物は要らなくなり
余計な考えも要らなくなるのでした。
そうして、ただの人間同士となっていき
疲れをねぎらい、互いの旅の無事を願いながら
ブエン・カミーノ!と口にし
たくさんのビッグハグが生まれたのでした。
カミーノは、まるで生きてるみたいだったよね!
ほんとね。なんでもお見通しだったわね~。
いつかまた、来るかなあ。
そうね…、わからないわ。けれど、次に来るとしたら、みんな大人になっているわね!
2010年6月、巡礼最後の日、私たちは川のような道の前に立ちました。母46歳、Chai15歳、Den10歳でした。
「私たち巡礼者のことを、カミーノは覚えているのかな?」
「もちろん!カミーノは永遠に覚えていてくれるよ。私たちが確かにここに来たことをね。たとえ、この世から私たちがいなくなったとしてもね!」
たとえどんなに多くの人が道を踏み、どんなに年月が重なったとしても、カミーノは全て記憶し、また誰かを呼び、そしてまた誰かの人生を変えてしまうのでしょう。
子連れサンティアゴ巡礼・Camino de Santiago 60days/終わりのあいさつ
翌朝7時半、ムシア発のバスは、10時にはサンティアゴ・デ・コンポステラに着きました。
もう一度、サンティアゴ大聖堂に会っていこう!
これを言うのも最後だね。
ブエン・カミーノ!
お~い!カミーノ!!
さよなら!
2010年のサンティアゴ巡礼を今頃…?情報が古いじゃない?と思われる向きもあると思います。しかし、伝えたい風景やエピソードをブログにするには、子どもたちが成長するまで寝かせる必要がありました…。
最新の道やアルベルゲ、物価の情報は、他のサイトで詳しく確認できると思います。
ただ、カミーノは
何年経っても歩く距離は変わりません。
私たちは、情報も体力も予算も語学力も貧弱で、おまけにケンカの起こりやすい親子というメンバーでした。それで、毎日が事件と発見の連続でした。
カミーノは、道を歩く旅だったけれど、心の旅でもありました。
長いなが~い「子連れカミーノ・サンティアゴ巡礼の60日間のストーリー」を見て読んでいただきまして、本当にありがとうございました!
※また、少ずつ、写真やカミーノのその先の旅などを、あげていきます。ではでは、また会いましょう (^^)/