60/60ムシア巡礼証明書で完結、カミーノは永遠に覚えていてくれる


6/14(月)ムシア観光日 0㎞/€59 おばあちゃん頻出宿 €35
目が覚めたら8:45でした。アルベルゲは誰もいませんでした。
あ~、まだ眠いわ〜、いくらでも寝れそう。
9時を過ぎたよ。起きて~!
と声を上げ、ChaいとDenは目が覚めたものの、まだ寝袋にくるまっていました。
9時半にオスピタレロが
「このアルベルゲは10時に閉まるよ~。」と言いに来ました。
ええっ!
慌てて二人を起こしました。
大急ぎで着換え荷支度をし、キッチンへ行きました。
出発前、なんとかお茶だけ入れて、飲むことが出来ました。
10時、オスピタレロに急かされながら玄関へ向かいました。
バックパックを背負い、外へ出ました。
今日は、ムシアの町を探索する予定でした。
カミーノを歩き始めたフランスの街、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから、スペインの巡礼最果ての地、ムシアに居るということは、60日間を歩いた結果でした。
そして今日一日、ムシアの町を見て過ごすことも、巡礼に含まれているのでした。
今までも大きな街、パンプローナ、ブルゴス、レオン、サンティアゴ・デ・コンポステラでは、歩いた翌日に観光日を設け、教会と街の風景を散策してきました。
私たちは明日の朝、バスでサンティアゴ・デ・コンポステラへ戻り、そこからバルセロナへ行く予定でした。
いま玄関を出た公営のアルベルゲは、一泊しかできない決まりでした。
まずは、ムシアの町散策の前に、今日のベッドを見つけないといけないのでした。
「おや?見慣れない顔だワンッワンッ!」
町なかの犬は、つながれていることもあるんだね。
スーパーマーケットで宿情報を得る
スペインでお馴染みのエロスキ・スーパーマーケットを発見しました。
水と果物を買いました。
さて、どうやって宿を探そうか…。
レジでお店の人に「この近くに、泊まるところがありますか?」と聞いてみました。
するとお店の人は「ちょっと待ってね。」と言い、電話をかけ調べてくれました。
それから買い物を終え、お店から出ていくおじさんに声を掛け、何かしら説明をしてくれました。
そして…。
「あの人について行きなさい。」と言いました。
ムーチョ・グラシアス!
私たちは、おじさんの後を付いて行きました。
エロスキから3分ほど歩き、3階建てのこじんまりとしたペンションの前で、おじさんは足を止めました。
「これだよ。」と、あごを上げて示してくれました。
それからおじさんは、手を振ると行ってしまいました。
ムーチョ・グラシアス!
ペンションは1、2階に泊まる部屋がありました。3階には、おばあちゃんが住んでいて一人でペンションを切り盛りしていました。
おばあちゃんは、部屋を案内してくれました。セミダブルベッドがひとつある部屋が一泊・35ユーロでした。
トイレとシャワーは共同で狭い部屋でしたが、清潔でいい感じでした。
私たちは、巡礼中はアルベルゲ暮らしだったので、個室というだけでも大感激でした。
さらに、キッチンが使えるということもナイスでした。
わーいわーい!二段ベッドじゃな~い!個室だ~い!
早速、ペンションにバックパックを置いて、出掛けることにしました。
ムシアの港町で日向ぼっこ
バナナと水を持ち、ムシアの海へ向かい歩き出しました。
通りのパン屋さんで、まだ温かい焼き立てのエンパナーダ(惣菜パン)を買いました。
港が見渡せる場所がありました。
そこにちょうど良い、木のボードベンチを見つけました。
このベンチは、ごろごろと日向ぼっこをするのに丁度よいのでした。
私のお腹は、まだ調子悪くグワグワした感じでした。
座って休むのに最高ね!
日当たりが良く、見晴らしも広がっていて、とても心地よい風が吹きました。
エンパナーダ、温かいうちに食べようよ!
オッケ~!
あ!飛行機雲!!
あれっ、Vサインじゃない~?
アハハ、雲が送ってくれたのよ、きっと~!
あ~、カミーノのが終わったぁ~!長かったけど、短かったナ~。
このベンチはあまりに気持ちよく、昨日の疲れもある私たちは、背中とベンチが磁石のようにくっついて、離れなくなってしまいました。
そこに、2時間ぐらい転げていました。
それから、海沿いにしばらく歩きました。
ムシアの港に立つと風が強く、歩きながら少し疲れるほどでした。
港で写真を撮りました。
堤防の果てに岩場がありました。
砂浜は見つかりませんでした。裸足で波打ち際を歩くことは出来ませんでした。
巡礼終わりのケーキパーティー
ペンションに戻ることにしました。
道すがら再び、スーパーマーケットに寄りました。そこでスポンジケーキの台が売っていました。
カミーノ終わりの、お祝いケーキを作ろうよ!
いいね、やった~!
必要な材料を買い、ペンションに戻りました。
キッチンに材料を並べました。
スポンジ台、イチゴ、チョコレート、生クリームスプレーでした。
Denはチョコレートを削りました。Chaiはイチゴを切り、生クリームでデコレーションしました。
すると、上の階が住まいである宿のおばあちゃんが、階段から降りてきて柱から顔を半分だけのぞかせていました。
「あの子たち、何を作っているのかしら…?」と、興味津々な様子でした。
私は、挨拶をしようかな…と、そちらに目を向けるとサッ!と引っ込むのでした
再び見ると、サッ!
そんなことを3、4回繰り返していました。なんだか漫画みたいで、ウフフ!と笑ってしまいました。
私は、ケーキの進行具合を見ながら、お茶の準備をしていました。
ようやく、嬉しい声が上がりました。
できたあ!
ジャジャ~ン!
カミーノケーキ!!
では、みなさん!カミーノ完歩、巡礼終わりのケーキパーティーを始めま〜す!
うわ~い、ケーキケーキ!でっかく切って!
いっただきま~す!
うまい、うま~い!
大人の打ち上げは、ビールで乾杯ですが、子どもたちの打ち上げとして盛り上がるのはケーキでした。
買った材料を切って飾っただけの簡単なものですが、自分たちで作ったケーキはイチゴがいっぱいで、カミーノ終わりのパーティーにふさわしいものでした。
ねぇ、カミーノどうだった?
Denが思うのはね、スペインのお菓子は最高!ってことかな!
ママの行くよ!という声に、訳もわからず来たんだけどね。校長先生が「受験生なのに!」って何回も言うから、絶対に全部歩こうと思ったの。そして、歩けちゃった!カミーノが終わることが本当に寂しいな…。
ママは、ここ数年仕事や資格の勉強で忙しく過ごしてしまってね。ChaiとDenのこと、もっと見てあげられたかもしれない…、と思うことよくあったのね。カミーノでたくさんの時間を一緒に過ごせて、一緒に歩き抜いたこと、すごく嬉しかったナ。そして二人とも頼もしくてびっくりしたよ。すごく楽しかった!昨日は辛かったけどね!
自分たちで自分のことを、最高に褒め讃えながらケーキを食べました。
誕生日やクリスマスは、何をしなくてもその日が来ればやってくる嬉しいお祝い事ですが、今日のケーキは、自分たちで作り上げたお祝い事のケーキでした。
ケーキは大きいので、おばあちゃんに4分の一をあげることにしました。
さっき、のぞいていたしね!
お皿に乗せ、階段の下へ行き声を掛けました。
降りて来たおばあちゃんは
「いいのよ、いいのよ、いらないわよ~。」と身振りで断りました。
もう一度お勧めましたが、同じ反応でした。
無理に勧めることもないので
「そうですか。ではでは~。」
おばあちゃんに背を向け、キッチンへ戻り歩き出しました。
すると、階段を降りる音…。
「やっぱり、ちょうだい!」
と追いかけて来ました。
ケーキを受け取ったおばあちゃんは、気を良くして
「お洗濯するわよ!汚れ物を出しなさい!」と言ってくれました。
わあ、嬉し~い!
とても有り難い申し出でした。
普段、手絞りで洗えないものを出しました。
カミーノでラストシエスタ
DenとChaiはお祝いケーキランチを食べたあと、シエスタ(お昼寝)をしました。
私も一緒に眠りたかったのですが、日誌に書くことが溜っていました。書いておかないと忘れてしまうのです。
書き終わると、夕方4時でした。
まだChaiとDenは寝ていました。私も1時間ほど、シエスタに参加しました。 ああ、歩き疲れて眠るカミーノのシエスタは、これが最後なのね…。
ムシアの町散策
明日の朝早くに、サンティアゴの街へバスで向かう予定でした。
さあ、起きて~。バス停の場所を確認しにいこう。
そしてもう一度、明るいうちにムシアの町をもっと散策しようと思いました。
早速、Denは公園を見つけました。
わ~い!ブランコ、ブランコ~!
ムシアは港町、大きな錨(いかり)が並べてありました。
ボートも多く停泊していました。
町なかを、ぶらぶらと散歩しました。
砂浜があれば、裸足になって歩きたいのですが、海は堤防に縁どりされていました。
バスの停留所を確認しました。
そのすぐ前に、白いコットンの糸を編んで作る、刺繍レース屋さんがありました。中を見させてもらいました。
わあ、素敵!
お店にいた人と、一緒に写真を撮りました。
巡礼カミーノ最後の夕食
再びスーパーマーケットへ行き、今日の夕ご飯と明日の朝ごはんを見て回りました。
好きなもの選んでね。ディナーは任せて!
エビ、エビ!あとマンゴー!
アボガドとオリーブ、ソーセージもいいなぁ!
エビ、アボガド、トマト、パスタ、ソーセージ、オリーブ、マンゴー、レモンを買いました。全部で13ユーロでお釣りがきました。日本円で約1600円ぐらいでした。
アルベルゲに戻り、キッチンでエビ・アボガドパスタのレモン醤油味を作りました。
おいし~い!
ヨカッタ~!!
そこへ、おばあちゃんが洗濯ものを、全て畳んで渡してくれました。
「わあ、ありがとうございます。おいくらですか?」と値段を聞くと
「いいわよ、要らないわよ!」と言ってくれました。
わあ!ムーチョ・グラシアス!!
ムシア巡礼証明書
私たちは、部屋に落ち着きました。
それから、ムシア巡礼証明書を広げてみました。
オスピタレロに言われた通り、名前のところは自分で書き入れました。
ムシア巡礼証明書には、こんなことが書いてありました。
ムシア巡礼証明書
小舟の聖域を選ぶ巡礼者へ
あなたの長い巡礼は終わります。
あなたは貴重な贈り物を受け取ります。
恩赦と不朽の賞の報酬です。
それらを、信仰に付与いたします。
私たちが手にした
3つの巡礼証明書を並べてみました。
サンティアゴ巡礼証明書 / フィステラ巡礼証明書
証明書をもらうために歩いている訳ではないけれど…、こうやって形になると、嬉しいものね!
おばあちゃんの訪問にへきえき
それからシャワーを浴びました。
ドンドンドンッ!
おばあちゃんがドアを叩きました。
シャワーの浴び方、足拭きマットのことなどを教えてくれました。
ハーイ、わかりました。
おばあちゃんは、バスルームのドアを何回も叩き確認しに来ました。
んん?そんなに来なくても…。
私たちは、部屋へ戻りました。
再びドンドンドンッ!
おばあちゃんは何回もドアを叩き
何かひと言を言いに来ました。
「スペアベッドを出してね。」
「はい。」
「食べ物は持ち込まないでね。」
「はい。」
「隣にドイツ人のカップルが来るから静かにね。」
「はい。」
「荷物を見せて、食べ物は持ち込んでいないわね?」
「はい、食べ物は全部キッチンに置いてあります。」
「スペアベッド出した? 」
「寝る前に出します。」
「スペアベッド、もう出した?」
「あ、まだです。」
「スペアベッド出した?」
「あ、無くても大丈夫です。」
「隣の部屋にドイツ人のカップルが入ったから騒がないでね。」
「はい。」
「隣にドイツ人のカップルがいるから、朝は静かにね。」
「はい、静かにします。」
「スペアベッドは出した?」
「あ、いらないです。」
「ドイツ人のカップルの邪魔をしないでね。」
「はい….。」
ていうか、私たちの邪魔をしないでほしい~!!
もおお!Denたち騒がないってば!
ドンドンドンッ!
あら~、また来たっ!部屋の鍵を閉めて寝る体勢に入ろう。
夜8時半には、ドアの鍵を閉め、引きこもりを決め込みました。
オイルサーディンのように眠る
荷造りを済ませ、ベッドに入りました。
するとChaiとDenが私の左右の足にクリームを塗ってくれました。
二人とも私のやり方を真似して、懸命にマッサージをしてくれているのがわかりました。
そのあと、Chaiが背中を指圧してくれました。背中とともにお腹がとても楽になりました。
窮屈だけど、これでいいね。
私たち3人は、オイルサーディンのイワシの缶詰めように、ベッドに斜めに横たわりました。
おやすみなさ~い!
夜中のトイレでチョコレートを思う
私は、夜中に4、5回トイレに起きました。まだ、お腹の調子がいま一つでした。
部屋に戻る度、寝ているChaiとDenを眺めました。 ああ、そういえば…、2カ月前は、日本に居たのよね。カミーノやスペインのことなど、何も知らなかったのよね…。
しかも、ただスペイン旅行で来て、ここに寝ているのではなく、ChaiとDenの頭と足のなかに、カミーノを930㎞歩いた日々が、履歴として刻み込まれているのでした。
ポンフェラーダで出会った、巡礼仲間のエリカが私たちに言いました。
「チョコが甘いのを知っているというのと
チョコが甘いのを信じるというのは
違うんだよ。
人が体験したものを信じる、という立場で満足しないで
自分で実際に体験して知る。
ということは大切でね。
知るということは体験すること。
それはチャレンジすることだよね。
かじってみて、塩辛いチョコレートだってあるかもしれない。
行動して傷ついたり、がっかりする事もある。
けれど沢山の辛い思いや、経験を経たことにより人生の深みが増し、人の気持ちに寄り添うことが、出来るようになるのだよ。」ChaiとDenは、歩きながら聞き耳を立てて聞いていました。私たちは、カミーノというチョコレートを食べてみたのでした。
ひと箱全部、完食でした。
ChaiとDenのお腹の中にとりこまれたカミーノは、この先どう消化されていくのかしら。そして私自身にとってカミーノは、どんな作用が起きていくのかしら…。
エリカは、何度でも言うだろう。
「もしも、失敗したって、無駄にならないよ。
自分で知って確かめることで
人生は深く豊かになるのだよ!」
カミーノは当り前のことが有難い!
カミーノは…。
全てが自分次第でした。
誰かに与えられるのではなく
自分で歩き、疲れ、空腹になったから
最高に食べ物がおいしく
自分がクタクタになるまで歩いたから
休めるベッドがあるだけで最高に幸せなのでした。
ある時、アルベルゲで一緒になったドイツから来たおばちゃんたちに、
「あなたぐらいの年令で、カミーノに来ることが出来てラッキーね!いろいろな経験が出来たでしょう。あなた、どんな夢や希望を持っているの?」と聞かれました。
私がなんとか訳し、話をつなげました。
「Denは、どんな夢や希望を持っているのか?って聞いてるよ。」
するとDenは胸を張り
Denの夢と希望はね、今日は温かいシャワーでありますように、ってことだよ!毎日、そのことを願って歩いてま~す。
プッ!
笑っちゃいけない、ズレてる…。
Denは(私たちも)、シャワーが冷たかったり、びっくりシャワーだったり、途中でお湯が止まったりと、何度も苦労していました。
ドイツのおばちゃんに、Denの言葉を伝えました。
すると爆笑!
そして
「私もよ!」という声が上がりました。
普段の日本の生活の中では…、
食べ物に飢えたり、日照りで干からびそうになったり、寒い日にシャワーのお湯が出なかったり…などということは、無いのでした。
だからこそ、お腹がすいた時にパンがある、炎天下で水道をみつける、寒い日にアルベルゲに着いて温かいシャワーがある…、
カミーノは、当たり前のことが、なんて有難い!と思うのでした。
そんな日々を、子ども一緒に体験する機会というのは貴重でした。
けれど実際、子連れでカミーノに行くことは、本当に難しいことなのよね。子どもは学校、大人は仕事、そしてまとまったお金も必要。家族の理解も必要…。たまたま、私たちは行く機会に巡り合えたのだけれど…。
カミーノは長女の人生も変える
私は、カミーノから帰ってきて、すぐに訪問マッサージの仕事に就きました。そして、週末の休みごとに写真の整理を始めました。
日付けごとに選別をし、簡単なコメントを付けていきました。私が撮った写真と、Chaiのカメラで撮った写真の合計は、4千枚ほどありました。
それと、日誌をすり合わせ、メモ書きのお金の出入りを計算しました。それは、とても骨の折れる仕事でした。
やっと編集し終わった頃には、6年の月日が経っていました。
その間、ChaiとDenはカミーノに行ったことを、すっかり忘れてしまったかのようでした。目の前の自分の生活に、精一杯走り回っていました。
ああ、出来た~っ!
私は、パソコンで編集したデーターをカラーコピーに印刷し、ホッチキスで止めました。
パチッ!
カミーノアルバムの完成!でした。
ChaiとDenは
「やっと出来たんだね!おめでとう!!」と言うと、パラパラとめくり、
じゃね!
と慌ただしく、学校やバイトに出掛けて行きました。
6年前のことだもの。まあ、そんなものよね…。
ところが、意外にも、2010年のあの出発の時、あれだけ誘ってもカミーノに行かなかった長女Raiが(Chaiは2番目。Denは3番目)
どれ、見せて。へえ!カミーノってこんな旅だったんだ。初めてちゃんと知ったわ!わぁ~、私も行きたくなった!!
そしてなんと!
2016年の秋、Raiは仕事を辞め、一人でバックパックを背負いカミーノに出発したのでした。
私もRaiと一緒に途中で5日間ほど、合流し歩きました。
はじめRaiは、10人ぐらいのさまざまな国の人、さまざまな年齢、仕事の人と歩いていました。
ある日、オランダ人の巡礼者とアルベルゲで一緒になりました。
彼の顔を見た時、初めて会ったのに、初めて会った気がしない不思議な感覚を覚えたそうです。
(あとで、彼もそうだった!と言っていたそうです。)
しかし、彼は一日に40㎞を歩く速足でした。翌日は、早朝に出発してしまいました。
カミーノは歩く速度は違うと、2度と会えないのでした。
ところが、たまたま彼は体調を崩し、20㎞ほど先のアルベルゲで休んでいました。
そこでRaiと彼は再会し、お互いのことを話し、驚いたことに聞いている音楽がほとんど同じだったのでした。
そこから二人は、肩を並べ歩き出したました。
サンティアゴ・デ・コンポステラに着いた時には、
お互いを伴侶とし人生を歩き出すことを決めたのでした。
私たち、結婚します。
カミーノは、長女Raiの人生をも大きく変えたのでした。
私とChaiとDenのカミーノのその先に、
そんな導きがあったとは!
そして私たちのカミーノも、考えてみれば何かの縁が起き行くことになったのでした。
たまたま、学校に行けないのなら、サンティアゴ巡礼に行ってみようか!という究極の選択のチャレンジでした。
もし、Chaiが何の問題もなく学校へ行けていたのなら、3ヵ月も学校を休んで旅に出る、なんていう選択は起きなかったのでした。
これも、巡り合わせね。カミーノは、Chaiから始まってRaiの未来までも、計算して巡礼に誘導したのかしら?
もちろん、カミーノはスペイン北部の「道」です。
何か言葉を、発する生き物でもありません。
しかし、実際にカミーノを歩いていて、お金を落とした翌日にお金のお布施を貰ったり、願えばオムレツが作れたり、欲しかったコーラ、靴を願えば靴がぽっかりと現れたり、失くした本の著者に出会ったり…。
カミーノは、まるで私たちを意思を持って見つめている…。
そう思えてしまうほど、不思議な道でした。
カミーノ、時代はSNS
カミーノのアルバムをコピーして、もっとみんなに見せてあげればいいのに!スペインの景色や教会はもちろん素敵だけど、子どもが歩くカミーノって、苦労もいっぱいだけど、やることが面白いじゃない!
アハハ!そうよね。ケンカしたり、道で寝ちゃったり、犬や虫や公園で、すぐ寄り道しちゃうしね!
しかし、カミーノアルバムコピー本は、コンビニのカラーコピーで作っていました。それは50ページもありました。コピーをする労力も費用もバカにならないのでした。
そして、時代はSNSなのでした。
いろいろな人から
「カミーノ、興味あるのよ。ブログはないの?」と聞かれ
無いです…。
ならば、6年かかったコピーのアルバム、これは乗りかかったカミーノの船ね。SNSは、よくわからないけれど、ブログにチャレンジしてみるわ~!
そうしてブログにしておけば
いつでも、どこでも!
カミーノを楽しんでもらえるのでした。
「へえ~、スペインにこんな歩く道があるんだ!」
「あ~、親子でこういうケンカ、あるあるね~。」
「10歳でも歩けるんだね。」
「学校に行けなくなったら、カミーノもありかも…。」
なんてことも…。
中学校に戻り目線は教室から世界へ
Chaiはカミーノから帰ると、すぐ夏休みに突入しました。
約一か月後、9月から中学校へ通い出しました。
登校し教室に入っても、頭痛、腰痛は出ませんでした。
学年は中学3年生で高校受験を控えていました。
実際、カミーノは学校の評定には何も役立つことはありませんでした。
ただ、変化があったことと言えば…。
Chaiは、クラスの誰が誰を無視したとか、ケータイ、ラインのやりとりアレコレが
気にならなくなっていました。
もっと英語を勉強して、いろんな国の人とコミュニケーション取れるようになりたいナ。
目線は、教室から世界に変わりました。
半径10メートルの視野が、半径10,000キロメートルに広がったのでした。
ただの人間同士とビッグハグ
カミーノを歩く巡礼者の多くは
成績とか、学歴とか…、
医者だとか、失業中だとか…、
日本とか、スペイン、ドイツ、韓国とか…、
大人とか、子どもとか…、
男とか、女とか…、
病気だとか、健康だとか…、
肌の色が違うとか…、
金持ちだとか、貧乏だとか…、
たくさんの「そんなことを問題にしない人々」に出会いました。
いろんな国の人が、子ども扱いじゃなくて、一人の巡礼仲間として認めてくれたことが、すごく嬉しかった!
しかし歩いていると、良いものに修正する流れに必ず出会いました。そんな時、やっぱり「そんなことを問題にしない世界」は確かにあるんだ!と心がうれしくなり、凛としました。
きっと巡礼者は、はじめからそうではなかったと思うのです。一日中重い荷物を背負い、自然にさらされながら、何日も、ひたすら歩きました。
すると、余計な物は要らなくなり
余計な考えも要らなくなるのでした。
そうして、ただの人間同士となっていき
疲れをねぎらい、互いの旅の無事を願いながら
ブエン・カミーノ!と口にし
たくさんのビッグハグが生まれたのでした。
カミーノは、まるで生きてるみたいだったよね!
ほんとね。なんでもお見通しだったわね~。
いつかまた、来るかなあ。
そうね…、わからないわ。けれど、次に来るとしたら、みんな大人になっているわね!
2010年6月、巡礼最後の日、私たちは川のような道の前に立ちました。母46歳、Chai15歳、Den10歳でした。
「私たち巡礼者のことを、カミーノは覚えているのかな?」
「もちろん!カミーノは永遠に覚えていてくれるよ。私たちが確かにここに来たことをね。たとえ、この世から私たちがいなくなったとしてもね!」
たとえどんなに多くの人が道を踏み、どんなに年月が重なったとしても、カミーノは全て記憶し、また誰かを呼び、そしてまた誰かの人生を変えてしまうのでしょう。
子連れサンティアゴ巡礼・Camino de Santiago 60days/終わりのあいさつ
翌朝7時半、ムシア発のバスは、10時にはサンティアゴ・デ・コンポステラに着きました。
もう一度、サンティアゴ大聖堂に会っていこう!
これを言うのも最後だね。
ブエン・カミーノ!
お~い!カミーノ!!
さよなら!
2010年のサンティアゴ巡礼を今頃…?情報が古いじゃない?と思われる向きもあるかと思います。しかし、伝えたい風景やエピソードをブログにするには、子どもたちが成長するまで寝かせる必要もありました…。
最新の道やアルベルゲ、物価の情報は、他のサイトで詳しく確認できると思います。
ただ、カミーノは
何年経っても、歩くことは変わりません。
私たちは、情報も体力も予算も語学力も貧弱で、おまけにケンカの起こりやすい親子というメンバーでした。それで、毎日が事件と発見の連続でした。
カミーノは、道を歩く旅だったけれど、心の旅でもありました。
長いなが~い「子連れカミーノ・サンティアゴ巡礼の60日間のストーリー」を見て読んでいただきまして、本当にありがとうございました!
※また少ずつ、写真やカミーノのその他の旅などをあげていきます。
ではでは、また会いましょう (^^)/