サイトの紹介
Kumi3プロフィール
このサイトに来ていただきまして、有り難うございます!
🐶Kumi3のプロフィール
東京生まれ
鍼灸師、あんま指圧マッサージ師、ドゥーラ
◎子どもを産んでからバックパックの旅に目覚めました。便利できれい過ぎる日本の生活に「?」を感じ、夫には留守番をお願いし、私が3人の子連れで(長女8歳、次女4歳、長男5ヵ月)タイに2カ月の旅に出ました。車も電気もない、膝下の高さに青や黄色の魚が泳いでいる美しい海の島に一か月住んでみたり、田舎のお宅にお世話になりタイ人のお母さんに母乳をもらったり…。(また、ブログに書いていきますね!)肌感覚で違った文化を感じる旅でした。
子どものアトピー性皮膚炎から健康によりいっそう関心が深まり、40歳を過ぎてから鍼灸マッサージ師を目指しました。自律神経の不調から中学校に行けなくなった娘がきっかけとなりカミーノ(サンティアゴ巡礼)を歩きました。
犬とボルダリングと料理、絵本作りや日曜大工が好きです。
以前は、陶芸の仕事をしていました。
子連れのサンティアゴ巡礼のあと、地中海に浮かぶメノルカ島、
アフリカ大陸に上陸しモロッコのサハラ砂漠へ行きました。
国家資格を取得後、鍼灸院、医療訪問マッサージ、機能訓練士として勤務してきました。3年前にCS60と出合い、これまたご縁のあった新宿ゴールデン街の『ナベサン』という居酒屋でクイックマッサージをさせていただいています。
SNSやパソコンは大の苦手ですが、なんとかブログを書き続けています。
今後とも、よろしくお願いいたします。
カミーノ・写真と文の紙芝居ブログ
このサイトのブログは、母 Kumi3と、中学三年生15歳女子Chaiと、小学5年生10歳男子Denの3人が、2010年(聖年)に参加したカミーノ(サンティアゴ巡礼)の歩く旅の生活を、写真と文で紙芝居のように紹介していきます。
歩いた時期は、10年以上も前のことになりますが
天候、自然、カミーノがくれた様々な出会いで感じたこと、そして親子のやりとり(時にはケンカ)は、どの時代においても変わりないものだと感じています。そして、サンティアゴ巡礼は「歩く旅」ですが「心の旅」でもありました。もちろん、カミーノへ行くのは初めてでした。行くと決めて、飛行機のチケットを取り、とにかく現地には向かってみたものの 謎(わからないこと)と不安に満ち満ちていました。
毎日どれぐらい歩けばいいの?
どんなところに泊まるの?予約は無しで大丈夫なの?
お金は足りるかしら?山賊に遭わないかしら…。
歩き始めの頃、全てのことに戸惑っていました。
それが、一週間もすると、
その日の体調や天気、道の具合で距離を決め、その時たどり着いたアルベルゲ(宿)のベッドに空きがあれば泊まり、無ければ次のアルベルゲのある町まで歩く…。
という基本ルールが分かってきました。
つまり…、
予定を立てても、その通りにいかないのがカミーノだ!という事がわかったのです。今日、どうするか考えても無駄だね~!
そんなカミーノの日々を、一日ごとの記事にしました。
【日々のエピソード、検索目次】を開き
記事ページの日付をクリックすると、その日の記事が開くようになっています。
◎最新のスペインの道、宿泊所(アルベルゲ)、交通機関などのインフォメーションは、日本カミーノ・サンティアゴ友の会などのサイトで確認してみてください。
子どもの歩幅、スマホ、ガイドブック無し。
私たち3人は大人だけで歩く巡礼とは異なり、子どもの歩幅、子どもの目線で歩くことになりました。
面白いものがあれば時間を気にせず道草をし、ケンカや不機嫌が不定期に勃発し、歩けなくなったかと思えば犬や馬、牛やチョコレートでムードが変わり、その日に出会った巡礼仲間が楽しければ、どこまでも付いて行く…。
さらに私は、頼りにしていたガイドブックを
歩き出した2日目にスマホもアクシデントがあって使えず…。
道に設置されている「黄色い矢印」を頼りに、歩きました。
迷ったり、分からないことに遭遇した時は、自分たちのカンだけが頼り、また誰かに聞くなどして、情報を得なければならないのでした。
しかも何かを聞いた時、相手の返す言葉は、スペイン語 か英語でした。私も子どもたちも必死で身振り手振りで伝え、相手のそれも理解していきました。
サンティアゴ巡礼をスマホ無し、ガイドブック無しで歩くなんて…。なにもこだわって、アナログで行こう! という実験をした訳ではないのよ~。
私のうっかり、アクシデントでそうなったのですが、それは結果的に私たち3人チームのお互いのコミュニケーションを増やし、他の巡礼者たちとコミュニケーションを取らざるを得ない状況を生み出しました。
またカミーノの日常にスマートフォンを持ち込まなかった事で
私も子どもたちも、
液晶画面の中 に
時間や気持ちが吸い込まれることが
全く無かったのでした。
目線は常に
「人と人」「道の中」にありました。
そしていつでも
「先に行くか?、ここに泊まるか?」を
子どもたちに決めてもらう事にしていました。
珍しい母親、学齢期の子の巡礼者
世界各国、老若男女がカミーノを歩きに来ている中、子どもと子育て時代のお母さんは、ほぼ歩いていませんでした。(一組、おばあちゃんと10歳、8歳を含むカナダ人一家に会いました。)
それもそのはず、子どもたちは学齢期にあたるのでした。
わざわざカミーノを歩くために、子どもを2、3か月学校を休ませてまで来るというケースは、余程のことがない限り、あり得ないことでした。
私たちも、もし娘の学校生活が順調であれば、中学3年の4月から3ヵ月間、カミーノを930㎞を歩きに行くことも、起こらなかったのでした。
さらに、費用も掛かることでした。
3人が海外に行くというだけで、相当な金額を要することです。
(私はたまたま20年来掛けてきた貯蓄保険が満期になったのでした!)
長きにわたる宿泊費、食費は??というと、航空券だけは押さえようがないのですが、日々の生活は3人で35ユーロ(4,500円ぐらい)もあれば充分でした。贅沢をしなければ。宿泊所が一人5~8ユーロ、食費はパン1ユーロとチーズ2ユーロ、サラミ2ユーロとリンゴ3,4個で1ユーロ。それと何か買い足す程度で十分でしたから。歩いて疲れているので、何を食べても美味しいと感じました!赤ワインも無料で出る時もありました。本当に水より安い!のには驚きました。
また、お母さんが子どもを置いてカミーノを歩きに来るという事も、難しいことだと感じました。出会ったお子さんが居るという女性は、子どもが大きくなり、子育てを卒業したお母さんでした。
一方で、子どもがいるお父さんは、何人も歩いていました。自国で待っている幼い子どもの写真を見せてくれた巡礼者もいました。
従って、
子育て中の母親と学齢期の子どもが
カミーノを歩くという事は、
とても珍しい事なのだ!
という事に気が付きました。
(さらに東洋人という珍しさまで加わっていました。)
それで、多くの巡礼者が声を掛けてくれ、また助けてくれたのでした。
私も子どもたちも、最もカミーノに来ることの出来ない時代の人なのね…。いろいろな出来事が重なって、カミーノを歩く機会が巡って来たのだわ!
カミーノの毎日を記録する訳
中3娘と小5息子と母で歩いたカミーノは、毎日、何かしらの事件が起きました。
私の英語が中学生程度であることや、ちょっとした親子きょうだいの喧嘩、不機嫌(眠い、悪天候、重い荷物、トイレ問題、忘れ物、etc.)が日常茶飯事でした。
そして、いつもその場で展開する出来事の連続が旅の常というものです。
天気、出発時間、道、食べ物の確保、巡礼仲間、アルベルゲの空き…、
どれもが、スムーズにいけば良いのですが、遊びたくなったり、買い物したくなったり、巡礼仲間に合わせたり…。
盛り沢山の一日を、やっとのことで無事に歩き終えると
その日に大事件!と感じたことさえ
次の日に起きる新しい大事件に
あっさりと 塗り替えられてしまうのでした。
その日一日を 全身全霊で歩くので、そうなるのかもしれません。
それでカミーノの日々を、なるべく写真に撮り、ささいなことも記録に残していきました。
というのも、学校を休んでカミーノに来ているので
「あとで、レポート出してくださいね。」
と中学校で言われるかもしれないと思ったり…。
(結局それは無かったのですが…。)
小学校では
「帰ってきたら写真を見せてくださいね。」という声掛けがあったので
とにかく、小学校や、中学校に聞かれたら、いつ、どこで、何を?ぐらいは答えられるようしておかなくちゃ!
そして、私の記憶力の低下っぷりも、なかなかのものでした。
今、スペインの道を子どもたちと歩いているという貴重な日々を、書き留めておかないと忘れてしまうわ!あれれ?、昨日のランチ?、う~ん、ぜんぜん思い出せない…。
それで、日誌にその日の出来事を書き込むことで、何年経ってもカミーノでの歩いた日々の出来事、子どもたちとのやり取りを思い出せるようにしたいと考えたのでした。
皆が寝静まったキッチンや、バスルームの小さなライトの下で、起きたことや気になった言葉をメモし続けました。
カミーノの魅力や子連れならではの珍事件、巡礼仲間からもらった素敵な言葉など、いつか大人になった子どもたちに教えてあげたい、伝えたいことがいっぱいあるわ!
ブログを書いて気が付く「運転手は君だ!」
帰国後、それらの日誌と写真を整理するのに6年ほどかかりました。それはコメント付きのアルバムの一冊でした。
ママたち、面白いエピソードがいっぱいあるね~!これ、ブログにしたらいいんじゃない?
そうか~、今の時代はそうよね!
私にとってパソコン及びSNSは天敵でした。(スマホ、パソコン大の苦手…。)
初めの頃はサーバー、ドメイン、はたまたデバイス、タグといった基本的な言葉の意味すら、さっぱりわかりませんでした。
結局、本や動画を見聞ききしながら、やっと記事が書けるようになりました。
そうして書くことに集中できるようになり、当時の日誌を読み返し
日々を振り返ってみると…、
私は、大きな勘違いをしていたことに気が付きました。
今までずっと
私が「旅という車」に子どもたちを乗せ、私が運転手をして引っ張っていた…というイメージを持っていました。私は大人で母親で、お財布と皆のパスポートを持っていましたから。
けれど、あらためてカミーノの日誌をひも解いてみると…
あら?子どもたちが運転手で、私が「旅という車」の車窓から景色を見せてもらいながら、進んでいたのじゃないかしら⁈
そこには、2つの理由がありました。
子どもがいたから展開したグローバルなカミーノ(サンティアゴ巡礼)
カミーノは、世界中から様々な人々が歩きに来ていました。
カフェ、バルやアルベルゲ(宿泊所)で
大人同士であれば、初めて会う人に声を掛ける時
「お邪魔じゃないかナ…?」
「言葉が通じなかったらどうしよう…。」
といった遠慮や躊躇が出てしまうものです。
それが多くの巡礼者たちは、子どもたちに対して
ただ近くにいるだけで、気軽に話しかける存在なのでした。
地元スペインのおじいちゃん、おばあちゃん、オスピタレロ、フランス、ドイツ、オランダ、韓国、エクアドル、カナダ、アメリカ、イギリス人…、そして現地で会った日本の人々…、
「おい、ペケーニョ!(ちび助)コーラ飲むか?」
「ホンダ、すごいよな!サッカー選手だよ!」
「この歌、知ってるかい?」
「へイ、俺の犬見るかい?」
そのおかげで、旅がさらに楽しく、グローバルに展開していったのでした。
もし私が、大人一人で歩いていたら、こんな気楽さで世界中の人々と絡めるはずもありませんでした。
疲れるとわかっていても、遊んでしまうカミーノ
背中のバックパックが重く、その日の距離が長く、アルベルゲが早い者勝ちでいっぱいになってしまうことが分かっていても、
ブランコがあれば飽きるまで乗り、
カエルがいたら踏まれないか心配になり、安全なところへ逃がしに行き、
川があれば時間を忘れて水面で石切りをしてしまう…。
効率や疲れることを、まったく度外視した歩きっぷりでした。
気の向くまま風の吹くままに遊び歩くカミーノを、時には急かし怒ることもありましたが…、
そのうち私も一緒になって、
道の巨大な土管によじ登ってご飯を食べ…
カタツムリや黒ナメクジを探し…
ようになっていました。
子どもたちの 遊びたい衝動に巻き込まれ、
また、子どもたちの横でそれをするなら、
私も恥ずかしくない!(これ大事)
うまく子どもに返ることが出来たのでした。
えっ!出発する前に卓球の朝練するの?今日は30㎞歩くかもしれないのに⁈ まあ、いいか~。
五感フル活用でカミーノの住人となる
カミーノの始めの頃、歩き慣れずスペインの勝手も分からず、クタクタに疲れ…
10歳男子は、訳もわからずフラストレーションが溜っていました。
うわ~っ!何でこんなとこ歩いてるんだよ~!!
この先、長いのに…。大丈夫かしら、わたしたち。不安だわ…。
もう歩くのも限界なのに、アルベルゲに着かないと休めない。荷物が重く、肩が痛い。天気が暑すぎても寒すぎても、道から出ることが出来ない。
そもそも、何でこんな道にいるのか…。
15歳女子はサンティアゴ巡礼にチャレンジしてみる!というコンセプトが理解出来ていたのですが、10歳男子は、付き合いで来たことから始まっていたので、全くもって理解できないでいました。
おまけに今まで、10歳男子は学校から帰宅した後、ゲームで遊ぶのが最高の楽しみでした。
疲れたよ~、そしてここはゲームもないじゃん!遊ぶものが何も無いよ~!
道、動物、言葉、重い荷物、天候 …。
何もかもが障壁に感じ
そしてアルベルゲ(宿)の急に温度が変わる
ビックリシャワ~が大っ嫌い!でした。
ところが、徐々に体力が付いて来たと同時に、何も無い所から遊びや楽しみを見つけていくのでした。子どもは、そういったことの天才でした。
ねえ、この石、手でパキッて折れる!パキッパキパキッ~‼
ねえ、水たまりにオタマジャクシが居る!踏まれないように土手を作るぞ~。
そしていつの間にか、私に教えてくれるようなことも起きて来たのでした。
ねえ、ポルファボール(ください)って言えば、買い物できるんだよ!
ねえ、タンクの付いてるシャワーは、急いで浴びないとお湯が無くなるんだよ!
ねえ、チョコレートクリームのガラス瓶は重いから、中身を全部パンに塗って持って行けば大丈夫!
サンティアゴ大聖堂が近くなるに連れ、子どもたち二人はまるで
カミーノの住人と化してきました。
あ~あ、終わりたくないよ!!
大西洋まで歩こう!そうしたらカミーノにもっと居られるもの!!
少しでも長くこの道に留まりたい!と巡礼の終わりを惜しみました。
どれほど歩く距離が長く、荷物が重く、不便で粗食でゲームもケータイも無いというのに~⁉
たまたま、体調を崩すというマイナスのことがあり、カミーノに来ました。不安で心細い存在の子どもたちは、いつしかカミーノと歯車がガチッと噛み合い、自分で考え順応するタフさを身に付けていきました。それどころか、大人の巡礼者とも互角に話が出来るぐらい、歩く旅の生活に工夫を凝らしつつ、楽しむほどになっていました。
その結果、出会った世界中の巡礼仲間たちが、子ども扱いすること無しに話してくれ、ともにカミーノを歩いてきた仲間として認めてくれました。それが本当に嬉しそうでした。
カミーノを知る事はいつか役に立つかも!
カミーノは、時には逃げ場になるかもしれません。そんな言い方をすると、なんだか良くないイメージかもしれません。
娘が起立性調節障害で自律神経が不調をきたし頭痛と腰痛で学校に行ける日、行けない日、早退、遅刻、保健室で寝て過ごすなど、日々葛藤している姿を目の当たりにしていました。
そんな時、たまたまカミーノを知っていたので、私は思い切ってカミーノに行くことを選択枝の一つに入れて考えたのでした。
いつもの日々を「高速道路」にたとえ、カミーノを「サービスエリア」に見立ててみたのでした。
今、走っていて止まることなど出来ないと思い込んでいた高速道路(日常の学校生活)から、全く降りてしまうのは怖いけれど、サービスエリア(カミーノ)で休憩をとってから、再び高速道路に戻ることなら出来るのじゃないかしら…?というチャレンジでした。
カミーノの本来は、サンティアゴ大聖堂を目指して歩く、カトリック信者のための巡礼の道です。
それが現在、巡礼路の世界遺産として1993年に登録され、カトリック信者でなくてもこの道を歩くことが出来ます。
そこで出会った世界中からカミーノを歩きに来た巡礼者同士、ここに来た理由を話すことがありました。
「どうしてカミーノに来たの?」
・いつか行ってみたかった‼
・長い距離を歩くチャレンジをしてみたかった。
・人生の節目を印象に残したい。
・大切な人とカミーノを歩く経験を分かち合いたい。
・持病の回復を願って。
・答えが出ない事で消耗してしまって。
・環境が変わり自分を見つめ直したい。
・親しい人を亡くして…。
....etc.
私自身も、子どもたちと歩くチャレンジを達成したい!という気持ちと共に、亡くなった母の事を想い出しながら、自分の幼少時代の思い出をたどりました。
すると、子どもの頃の思いがけない情景に出会ったりするのでした。
そこには、忙しく目まぐるしく過ぎていく日常生活の中では気付くことのない、自分自身の中の発見があったのでした。
そう、カミーノをサービスエリアにして出来る事の一つは
「自分とゆっくり丁寧に向き合う。」
という事だったのでした。
そして…、
カミーノを歩くことは
決して楽な事ではないのでした。
毎日、歩く限界を感じ
水がおいしい! 食べ物があるわ! 雨が降ってない、嬉しい~‼
ごく普通で当たり前のことにすら
喜びと感謝を感じるのでした。
そして、その日を歩き終え
ムシャムシャと食べる
生命力を持った自分!
に驚きました。
それはなんだか、
自分の中に眠っていた野生のパワーに魅せられるようでした。
そんな訳でカミーノを知っていると、いつか何らかの形で役に立つことが有るかもしれません。
巡礼証明書の嬉しいカテゴリー
サンティアゴ巡礼のゴール、サンティアゴの街の巡礼事務所で発行してくれる巡礼証明書には、三種類のカテゴリーがありました。
①カトリック
②スピリチュアルの探求
③文化的興味
私たちは②の「スピリチュアルの探求」で巡礼証明書を発行していただきました。
カトリックでない私たちも巡礼証明書がもらえたわ。そこに「スピリチュアルの探求」なんて素敵な言葉が用意されていたなんて!! 嬉しいわね!
そして、出会った各国の巡礼仲間たちが、子どもたちとのやり取りの中で、素晴らしいメッセージをたくさん残してくれました。それらは、カミーノが終わり日常生活に戻ってからも、心の栄養になる貴重な言葉の数々でした。
巡礼仲間の言葉をノートの中に見つけ、ブログに書き起こしながら
これぞカミーノの宝物!
と改めて感じ、ブログを続けていくモチベーションに繋がっていきました。
そのほか、写真ギャラリー、カミーノその後の旅、絵本作品など、随時、記事をあげていく予定です。
不思議な魅力にあふれた道を、たくさんの道草をしながら歩きました。楽しんで読んでいただけたら、本当に嬉しく思います!