サンティアゴ巡礼が教えてくれた学校では教わらないこと

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ヤコブ像と三人
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「学校に行けないなら、スペインをひたすら歩く旅に出てみない?」と15歳次女と10歳の弟を連れ、サンティアゴ巡礼(カミーノ)の旅へ行くことにしました。私は英語もろくに話せず、そんな体で子ども二人を連れ、海外の巡礼に行くなんて…、巨大なチャレンジでした。けれど、なんとかして現状の流れを変えたかったのでした。歩き始めの頃は、背中のバックパックが重く、足元はふらつき、疲れと不安のかたまりでした。果てしなく続く長い道のり、日照りや雨風、時には雪!、ごろごろの石道、泥道、草や木に囲まれ、自由に歩きまわる動物、見知らぬ町、様々な国の人々と出会いと別れ、そしてひたすら、ひたすらに歩く日々でした。しかし巡礼終盤になると、子どもたちは、自然の声を、心と身体で聞いているかのようでした。そして『カミーノの住人』と言えるような自由さで、旅の不自由を楽しんでいました。歩いた距離は930km、かかった日数は60日間でした。
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Kumi3プロフィール

 

このサイトに来ていただきまして、有り難うございます!

Kumi3

🐶Kumi3のプロフィール

東京生まれ。鍼灸マッサージ師。

料理でも物でも、何かを作ることが好きです。

絵本作りや、陶芸の仕事をしていました。

結婚する前は大型バイクに乗り、地方の都市、自然の中のへ行くことが好きでした。

2010年、15歳次女、10歳息子とカミーノ(サンティアゴ巡礼)・フランスの道を大西洋まで60日掛け、930㎞を歩きました。

2015年に長女と、2017年に夫と、それぞれ5日間、カミーノの一部を同行しました。

SNSやパソコンは、大の苦手なのですが、なんとかブログを書いています。

 

 

子どもと歩くカミーノの生活写真紙芝居

 

このサイトはKumi3と15歳女子Chaiと10歳男子Denの3人が、2010年(聖年)に歩いたカミーノ(サンティアゴ巡礼)の旅生活を、写真と文で紙芝居のように紹介していきます。

歩いた時期は、10年以上も前のことになりますが

天候自然、カミーノがくれた様々な出会いと別れ、そして親子のやりとり(時にバトル)は、普遍的なものだと感じています。そして、サンティアゴ巡礼は「歩く旅」ですが、いわば「心の旅」でもありました。

カミーノは、実際に行ってみるまでは 謎(わからないこと)と不安に満ちていました。

毎日どれぐらい歩けばいいの?

Den

どんなところに泊まるのかなぁ?

Chai

どんな大変なことがあるのかしら?山賊に遭わないかしら…。

Kumi3

歩き始めは、出会う全てのことに戸惑ってばかりでした。

一週間もすると、その日の体調や天気、道の具合で距離を決め、たどり着いたアルベルゲ(宿)のベッドに空きがあれば泊まり、無ければ次の町まで歩けばいい…。

予定を立てても、その通りにいかないのがカミーノだ!ということが分かってきました。

巡礼の日々のブログ記事は、一日ごとにまとめ、60日間分あります。どの日付から読んでも楽しめると思います。

目次ページの日付をクリックすると、その日の記事に飛ぶようになっています。

◎最新のスペインの道、宿泊所(アルベルゲ)、交通機関などのインフォメーションは、日本カミーノ・サンティアゴ友の会などのサイトで確認してみてください。

 

子どもの歩幅、スマホ、ガイドブック無し。

 

私たち3人は、大人だけの巡礼とは違い、子どもの歩幅、子どもの目線で歩くことになりました。

面白いものがあれば時間を気にせず道草をし、ケンカ不機嫌が不定期に勃発し、歩けなくなったかと思えばチョコレートでムードが変わり、その日に出会った巡礼仲間が良ければ、どこまでも付いて行く…。

さらに、私は頼りのガイドブックを初日に失くし、スマホも使えず…。

Camino arrow カミーノ矢印

道に設置されている「黄色い矢印」だけを頼りに、歩きました。

迷ったり、分からないことに遭遇した時は、自分たちのカンを頼りに、また誰かに聞くなどして、情報を得なければならないのでした。しかも聞く相手の返す言葉は、スペイン語英語でした。

スマホ無し、ガイドブック無しだなんて…。なにも狙って、アナログで行こう! という実験をした訳ではないのよ~。

Kumi3

アクシデントでそうなったのですが、それが結果的にお互いのコミュニケーションを増やし、他の巡礼者たちともコミュニケーションを取らなければならない状況を生み出しました。

また、スマートフォンを使わなかったので、私も子どもたちも、液晶画面の中に気持ちが吸い込まれることがありませんでした。

視線は常に

「人と人」

「道の中」にありました。

そしていつでも、

先に行くか、ここに泊まるかは

子どもたちに決めてもらいました。

 

 

珍しい母親、学齢期の子の巡礼者

 

世界各国、老若男女がカミーノを歩きに来ている中、子どもと子育て時代のお母さんは、ほぼ歩いていませんでした。(一組、おばあちゃんと10歳、8歳を含むカナダ人一家に会いました。)

子どもたちは、学齢期にあたります。

一般的には、カミーノを歩く目的のために、2、3か月学校を休ませてまで来るという事は、よほどのことがない限り、実行しないのでした。勉強の遅れ、成績のダウン、学校行事や部活に穴をあけてまで…。

増して、カトリックではない私たちでした。

もし、学校生活が順調であれば、中学3年の4月から、3ヵ月間欠席し、930㎞に及ぶ長いカミーノを歩きに来ることは無かったのでした。

さらに、費用も掛かることでした。

(私はたまたま20年来掛けてきた貯蓄保険が満期になったのでした!)

また、お母さんが子どもを置いてカミーノを歩きに来るという事も、まず難しいことでした。

一方で、子どもがいるお父さんは、何人も歩いていました。自国で待っている子どもの写真を見せてくれた巡礼仲間もいました。

従って、母親という立場、そして学齢期の子どもがカミーノを歩く機会というのは、とても珍しい事なのでした。

私も子どもたちも、最もカミーノに来ることの出来ない時代の人なのよね…。いろいろな出来事が重なって、カミーノを歩く機会が巡って来たのだわ…。この道を歩けるって本当に貴重な体験だわ!

Kumi3

と改めて実感したのでした。

 

 

カミーノの毎日を記録する訳

 

中3娘と小5息子と母で歩いたカミーノは、毎日、何かしらの事件が起きました。

私の英語が中学生程度であることでの勘違いや、ちょっとした親子きょうだいの喧嘩不機嫌(眠い、悪天候、重い荷物、トイレ問題、忘れ物、etc.)

世界中から来た巡礼仲間たちとの出合いや、その場で決めて展開する出来事など、様々なことが日々、

予想外!に起こりました。

盛り沢山の一日を、やっとのことで無事に歩き終えると

その日に大事件!と感じたことさえ

次の日に起きる新しい事件

あっさりと 塗り替えられてしまうのでした。

毎日を 全身全霊で歩くので、そうなるのかもしれません。

それで、カミーノの日々を、なるべく写真に撮り、ささいなことも日誌に残していきました。子どもたちも、毎日ノートに日誌を付けていました。

また、学校を休んでカミーノに来ているので

「あとで、レポート出してくださいね。」と中学校で言われるかもしれないと思ったり…。(無かったですが…。)

小学校では「帰ってきたら写真を見せてくださいね。」という声掛けがあったので、写真を撮らなくては~!と、ちょっと気負ってみたりしていました。

とにかく、学校に聞かれたら、いつ、どこで、何を?ぐらいは答えられるようしておかなくちゃ!

Kumi3

という使命感を感じていました。

 

 

ブログを書いて気が付いた「運転手は君だ!」

 

そして、私の記憶力の低下っぷりは、なかなかのものでした。

今、スペインの道を子どもたちと歩いているという貴重な日々を、書き留めておかないと忘れてしまうわ!あれれ?、昨日のランチ?、う~ん思い出せない…。

Kumi3

せっかくのカミーノを歩けるという機会を、時の流れを経ていけば、ごっそり忘れてしまいそうでした。

それで、日誌にその日の詳細をびっしりと書き込むことで、何年経ってもカミーノを思い出せるようにしたいと考えたのでした。

カミーノ、アジア旅日誌

歩き終わった午後、消灯の後、

皆が寝静まったキッチンや、バスルームの小さなライトの下で、起きたことや気になった言葉をメモしました。

カミーノの魅力や子連れならではの珍事件、巡礼仲間からもらった素敵な言葉など、いつか大人になった子どもたちに、教えてあげたい、伝えたいことがいっぱいあるわ!

Kumi3

帰国後、それらの日誌と写真を整理するのに6年かかりました。それはぶ厚いアルバムの一冊でした。

ママたち、面白いエピソードがいっぱいあるね~。これ、ブログにしたらいいんじゃない?

ライ

と、その時に行かなかった長女に言われました。

そうか~、今の時代はそうよね!

Kumi3

しかし、いざブログのサイトを作るとなると、さらに4年の年月が経ってしまいました。

2010年のカミーノの旅は、ブログになるまで10年の歳月が掛かったのでした。

私にとってパソコン及びSNSは天敵でした。(スマホ、パソコン大の苦手…。)初めの頃はサーバードメイン、はたまたデバイス、タグといった基本的な言葉の意味すら、さっぱりわからないのでした。

結局、本や動画を見ながら、やっと記事が書けるようになりました。

そうして書くことに集中できるようになり、当時の日誌を読み返し日々を振り返ってみると、

私は大きな勘違いをしていたことに気が付きました。

今までずっと

私が「旅という車」に子どもたちを乗せ、運転手をして引っ張っていた…。

というイメージを持っていました。

私は大人で母親で、私がお財布と皆のパスポートを持っていましたから。

けれど、あらためてカミーノの日誌をひも解いてみると…

子どもたちが運転手で、私が「旅という車」の車窓から景色を見せてもらいながら、進んだのじゃないかしら⁈

Kumi3

という逆転した印象を受けたのでした。

 

そこには、2つの理由がありました。

子どもがいたからこそ展開したグローバルなカミーノ

 

サンティアゴ巡礼は、世界中から様々な人が歩きに来ていました。

カフェ、バルやアルベルゲ(宿泊所)で

大人同士であれば、初めて会う人に声を掛ける時

「お邪魔じゃないかナ?」

「言葉が通じなかったらどうしよう…。」

といった遠慮躊躇が出てしまうものです。

それが多くの巡礼者たちが、子どもたちに対して、ただ近くにいただけでも、気軽に話しかけてくれました。

地元スペインのおじいちゃん、おばあちゃん、オスピタレロ、フランス、ドイツ、オランダ、韓国、エクアドル、カナダ、アメリカ、イギリス…、そして現地で会った日本の人々…、

「おい、ペケーニョ!(ちび助)コーラ飲むか?」

「ホンダ、すごいよな!サッカー選手だよ!」

「へイ、俺の犬見るかい?」

そのおかげで旅がさらに楽しく、グローバルに展開していったのでした。

 

疲れるとわかっていても、遊んでしまうカミーノ

 

背中のバックパックが重く、その日の距離が長く、アルベルゲが早い者勝ちでいっぱいになってしまうことが分かっていても、ブランコがあれば乗り、カエルがいたら踏まれないか心配になり、安全なところへ逃がし、川があれば石切りをしてしまう…。

効率や疲れることを、まったく度外視した歩きっぷりでした。

気の向くまま風の吹くままに遊び歩くカミーノを、時には急かし怒ることもありましたが…、

そのうち私も一緒になって、道の途中の土管に乗り、カタツムリを探し、雲の影を飛び越しながら歩くようになっていました。

子どもたちの 遊びたい衝動に巻き込まれ、

また、子どもの横でそれをするなら、私も恥ずかしくなく(これ大事!)

うまいこと子どもに返ることが出来たのでした。

えっ!出発する前に卓球の朝練するの?今日は30㎞歩くのに⁈ まあ、いいか~。

Kumi3

疲れる~とか、意味ない事~とか考える前に、楽しんでやってしまう子どもたちのパワーに、改めて驚き、また巻き込まれていたのでした。

 

五感フル活用でカミーノの住人となる

 

カミーノ始めの頃、歩き慣れず、異国スペインの勝手も分からず、クタクタに疲れ…

10歳男子は、訳もわからず、フラストレーションが溜っていました。

425伝叫ぶ

あ~っ!何でこんなとこ歩いてるんだよ~!!

Den

この先、長いのに…。大丈夫かしら、わたしたち。不安だわ…。

Kumi3

ところが一週間もすると、身体だけでなく頭にも体力⁈ が付いて来ました。

子どもたちの巡礼生活は、モノクロの世界から鮮かな色彩のカラーに移り変わったようでした。

歩き始めの頃は

自然、道、言葉、

そして

びっくりシャワーが敵!

だったのですが

いつの間にか

五感をフル活用し、それらと上手に付き合えるようになっていました。

サンティアゴ大聖堂が近くなるに連れ

カミーノの住人と化してきました。

あ~あ、終わりたくないよ!!

Den

大西洋まで歩こう!そうしたら、カミーノにもっと居られるもの!!

Chai

少しでも長くこの道に留まりたい!とカミーノの終わりを惜しみました。

どれほど不便で、荷物が重く、粗食で、ゲームもケータイも無いというのに~!

たまたま、学校が合わず体調を崩すというマイナスのことがあり、カミーノに来ました。未知で不安で心細く、か弱い存在の子どもたちが、いつしかカミーノと歯車がガチッと噛み合い、自分で考え適応するタフさは、大人にも引けをとりませんでした。

子どもたちは、途中で出会った世界中の巡礼仲間たちが、子ども扱い無しに、ともに長い距離を歩いてきた巡礼仲間として認めてくれたことが、本当に嬉しそうでした。

 

 

カミーノを知る事はいつか役に立つかも!

 

カミーノは、時には逃げ場になるかもしれません。そんな言い方をすると、なんだか良くないイメージかもしれません。

例えば、いつもの日々を「高速道路」、そしてカミーノを「サービスエリア」に見立ててみます。

私で言えば、母親であるからには、子どものことが常に心配、そして自分の仕事のこと、そして一人の人としての夢や理想、そのどれもが複雑に重なり合い、視界がよく見えていなくても、絡み合った義務や責任、経済うんぬんで止まるわけには行かず、とにかく進むしかない…、そんな時を続けていました。

うひゃ~、止まって考えたい。不安を抱えたままで進むのって、しんどいわ~。

Kumi3

ささいなことなら、近くの日帰り温泉で、気持ちをリフレッシュする工夫などできるけれど…。

時には、どうにもならない時もあります。

何とか現状を大きく打破したい時もあるのでした。

娘が頭痛と腰痛で学校に行けなくなり、葛藤している姿を目の当たりにしていました。

そんな時、カミーノを知っていたので、私は思い切って行くことを選択枝の一つに入れて考えたのでした。

今、走っていて止まることなど出来ないと思い込んでいた高速道路(日常の学校生活)から、全く降りてしまうのは怖いけれど、サービスエリア(カミーノ)で、休憩をとってから、また高速道路に戻るならできるのじゃない…かナ?

というチャレンジでした。

カミーノの本来は、サンティアゴ大聖堂を目指して歩く、カトリック信者のための巡礼の道です。

それが現在、巡礼路の世界遺産として1993年に登録され、カトリックでなくてもこの道を歩くことが出来ます。

世界中から、カミーノを歩きに来た巡礼者同士、来た理由を話すことがありました。

「どうしてカミーノに来たの?」

・行ってみたい‼

・人生の節目を印象に残したい。

・大切な人とカミーノを歩く経験を分かち合いたい。

・持病が回復を願って。

・答えが出ない事で消耗してしまって。

・環境が変わり自分を見つめ直したい。

・親しい人を亡くして。

           ....etc.

私自身も、亡くなった母の事を想いながら、子どもの頃の思い出を辿りました。

すると、自分の向きに気が付いたりするのでした。それは、忙しく目まぐるしく過ぎていた東京の日常生活の中では、思い至らないものでした。

カミーノをサービスエリアにして出来る事の一つは

「自分とゆっくり丁寧に向き合う。」

という事でした。

そして、カミーノを歩くことは

決して楽な事ではないので

毎日、歩く限界を感じ

水がおいしい!

食べ物がある!

嬉しいな~‼

ごく普通で、当たり前のことに

喜びを感じました。

ムシャムシャと食べる

生命力を持った自分!

驚いたり、時には褒めてあげたくなるのでした。

そんな訳でカミーノを知っていると、いつか何らかの形で役に立つことが有るかもしれません。

 

巡礼証明書の嬉しいカテゴリー

 

サンティアゴ巡礼のゴール、サンティアゴの街の巡礼事務所で発行してくれる巡礼証明書には、三種類のカテゴリーがありました。

①カトリック

②スピリチュアルの探求

③文化的興味

私たちは②の「スピリチュアルの探求」で巡礼証明書を発行していただきました。

606サンティアゴ巡礼クレデンシャルcredential Camino

カトリックでない私たちも巡礼証明書がもらえたわ。そこに「スピリチュアルの探求」なんて言葉が用意されていたなんて!!有難いね!

Kumi3

スペイン、カミーノの懐の深さを感じました。

そして、出会った各国の巡礼仲間たちが、子どもたちとのやり取りの中で、素晴らしいメッセージをたくさん残してくれました。それらは、カミーノが終わり日常生活に戻ってからも、心の栄養になる貴重な言葉の数々でした。

巡礼仲間の言葉をノートの中に見つけ、ブログに書き起こしながら

これぞカミーノの宝物!

と改めて感じたのでした。

そのほか、写真ギャラリーカミーノその後の旅絵本作品(youtube)など、随時あげていきます。

 

サンティアゴ大聖堂前で集合写真モノクロ

不思議な魅力にあふれた道を、子連れならではの沢山の道草をしながら歩きました。楽しんで読んでいただけたら、本当に嬉しく思います。

Kumi3

 

 

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